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鄭潔 : ウィキペディア日本語版
鄭潔[じぇん じー]

鄭 潔(ジェン・ジー、日本語読み:ていけつ、ピン音表記:''Zheng Jie'', 1983年7月5日 - )は、中華人民共和国四川省成都出身の女子プロテニス選手。同僚の晏紫とペアを組んで、2006年全豪オープンウィンブルドン女子ダブルスで優勝を飾り、中国のテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。シングルスでも2008年ウィンブルドンと2010年全豪オープンの準決勝進出者となった。WTAツアーでは、ダブルスで4大大会2勝を含む15勝を挙げ、シングルスでも4勝がある。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス3位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長164cm、体重57kg。
== 来歴 ==
2000年にプロ入り。鄭潔が中国国外のトーナメントに初参加したのは、2001年7月前半のアメリカカリフォルニア州「ロス・ガトス」の大会であった。2002年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップ中国代表選手となり、国外のテニス大会に活動の場を広げる。同年5月に福岡のトーナメントで初来日し、本戦の準々決勝まで進出した。2003年は「ジャパン・オープン」でベスト4進出があるが、この時は準々決勝で同僚の晏紫との“中国対決”を制した後、準決勝で当時16歳のマリア・シャラポワに敗れている。シャラポワにとっては、これがWTAツアー初優勝の大会だった。2004年全仏オープン女子シングルスで、鄭潔は中国出身の女子テニス選手として史上初のベスト16入りを達成した。その4回戦では、アルゼンチンパオラ・スアレスに 4-6, 5-7 で敗れている。
2004年アテネ五輪でテニスの中国代表選手に選ばれた時、女子ダブルスには鄭潔&晏紫の組と、李婷孫甜甜組の2組を送り出した。このアテネ五輪では李婷&孫甜甜組が女子ダブルスの金メダルを獲得し、中国に初めてのテニス金メダルをもたらした。それから1年半後、2006年全豪オープン女子ダブルスでは、鄭潔&晏紫の組が第12シードから勝ち上がった。2人のダブルスは、リターンの時に「2人とも後ろに並ぶ」スタイルで、世界の標準的なダブルスとは大きく異なる。これが対戦相手を戸惑わせ、2人は準決勝で浅越しのぶカタリナ・スレボトニクスロベニア)組に 6-2, 7-6 で勝ち、決勝では第1シードのリサ・レイモンドアメリカ)&サマンサ・ストーサーオーストラリア)組を 2-6, 7-6, 6-3 の逆転で破り、中国に史上初のテニス4大大会タイトルをもたらした。これで、中国女子テニスからは2組のダブルス・ペアが世界の頂点に立ったことになる。
全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週にポルトガルエストリル大会の決勝で同じ中国李娜を 6-7, 7-5 (李娜の途中棄権)で破り、WTAツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、ウィンブルドンでも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦でキム・クライシュテルスに敗れたが、晏紫とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、ビルヒニア・ルアノ・パスクアルスペイン)&パオラ・スアレスアルゼンチン)組を 6-3, 3-6, 6-2 で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。
ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都北京で開かれ、中国はドイツを「4勝1敗」で下して2007年度のワールドグループ出場権を獲得した。鄭潔はシングルス1試合と晏紫とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した〔Fed Cup - Tie details - 2006 - China, P.R. v Germany 〕。しかし2007年全豪オープンでは、鄭潔と晏紫は女子ダブルス準決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組に 3-6, 4-6 で敗れ、大会2連覇を逃した。
2008年ウィンブルドンにおいて、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の李娜のベスト8を上回る成績を出した。3回戦で第1シードのアナ・イバノビッチセルビア)を 6-1, 6-4 で破る勝利で波に乗り、4回戦でアグネシュ・サバイハンガリー)、準々決勝でニコル・バイディソバチェコ)に勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。準決勝では第6シードのセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 6-7 で惜敗した。アジア人女性のウィンブルドン準決勝進出も、1996年伊達公子以来12年ぶりの快挙だった。地元開催の北京五輪で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。準決勝でスペイン代表のビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に 4-6, 6-7 で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」でウクライナの姉妹ペア、アリョーナ・ボンダレンコ&カテリナ・ボンダレンコ組に 6-2, 6-2 のストレート勝ちを収めた。
2009年全豪オープンで、鄭潔は第22シードとしてシングルス4回戦に初進出を決めたが、スベトラーナ・クズネツォワロシア)との試合を 1-4 で途中棄権してしまう。翌2010年全豪オープンでは、鄭潔と李娜の2人が女子シングルスのベスト4に入った。鄭潔は2008年ウィンブルドン以来2度目の4大大会シングルス準決勝で、ジュスティーヌ・エナンベルギー)から1ゲームしか奪えず 1-6, 0-6 のスコアで完敗した。李娜も準決勝でセリーナ・ウィリアムズアメリカ)に敗れ、中国勢初の4大大会女子シングルス決勝進出はならなかった。李娜は2011年全豪オープンで、中国勢初の4大大会シングルス決勝に進出し、2011年全仏オープンでアジア人初の4大大会シングルス優勝を果たした。
2012年の開幕戦ASBクラシックの決勝でフラビア・ペンネッタの途中棄権により5年5カ月ぶりのシングルスツアー4勝目を挙げた。7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場しシングルスは1回戦でナディア・ペトロワに 4-6, 6-7(7) で敗退したが彭帥と組んだダブルスではベスト8に進出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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