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パイ・トレイナー : ウィキペディア日本語版
パイ・トレイナー

パイ・トレイナーHarold Joseph "Pie" Traynor, 1899年11月11日 - 1972年3月16日)は、1920年代 - 1930年代のアメリカメジャーリーグで活躍した選手。主なポジションは三塁手マサチューセッツ州生まれ。右投げ右打ち。お菓子などの「パイ」に目がなかったことから、それがそのままニックネームになった。
== 略歴 ==
1920年にパイレーツでデビュー。1923年には安打数208、打率.338、打点101の活躍を見せる。またリーグ最多となる三塁打19本を放った。1925年にパイレーツはナショナルリーグで優勝、ワールドシリーズでトレイナーは26打数9安打 (.346)、2本の三塁打と4打点を挙げチームのシリーズ制覇にも貢献した。2年後の1927年ポール・ウェイナーロイド・ウェイナーらとともに2度目のリーグ制覇を果たす。この年及び翌1928年は犠打数がリーグ最多で、自身100打点以上挙げながら繋ぎ役もこなしていた。
現役選手としての実働は1920年から1934年までで、その間に打率3割を10度、100打点を7度記録している。また非常に三振の少ない打者で、現役中1試合3三振を喫したことが一度もない。通算でも7500打数以上で、三振はわずか278である。
1948年アメリカ野球殿堂入り選手に選出された。三塁手の記者投票選出は彼が初めてだった。その後はパイレーツのフロントに入り、同チームのスカウトとして活動した。1972年ピッツバーグで死去。同年、生前のトレイナーの功績を称え、彼の背番号20』は、パイレーツの永久欠番に指定された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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