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ららぽーと船橋ショッピングセンター : ウィキペディア日本語版
ららぽーとTOKYO-BAY[みついしょっぴんぐぱーく ららぽーととーきょーべい]

ららぽーとTOKYO-BAY(ららぽーとトーキョーベイ、''LaLaport TOKYO-BAY'')は千葉県船橋市浜町二丁目にある、三井不動産商業マネジメントが経営するショッピングセンターであり、ららぽーとの1号店旗艦店である。
1981年昭和56年)、船橋ヘルスセンターの跡地に旧称「ららぽーと船橋ショッピングセンター」として開業した。
== 概要 ==
1981年昭和56年)4月2日ハワイアラモアナセンターを参考にして〔船橋「TOKYO-BAYららぽーと」 テレビ東京出没!アド街ック天国』、2005年7月2日。〕、船橋ヘルスセンターの跡地に開業した。三井不動産が初めて手掛けたショッピングセンターである〔「ららぽーと」の価値創造 30年の歩み 、三井不動産。〕。開業時の名称は「ららぽーと船橋ショッピングセンター」〔三井不動産の歴史1981-1985 、三井不動産。〕。「TOKYO-BAYららぽーと」を経て、2006年8月に「ららぽーとTOKYO-BAY」に変更した。
当初から日本最大規模の大型ショッピングセンターであり、その先駆けだった。当時は京葉線の開通前で、近隣の船橋駅並びに津田沼駅前は日本有数の商業激戦区(津田沼戦争)〔当時、船橋駅前には西武百貨店東武百貨店イトーヨーカドー丸井長崎屋十字屋が、津田沼駅前には西友+パルコ、ダイエー、高島屋、イトーヨーカドー、丸井、長崎屋などの商業施設が林立していた。〕である上、ショッピングセンター事業への経験不足、前例のない広大な敷地でもあり、成功を疑問視する声も多かった〔ららぽーと誕生物語 、三井不動産。〕。
開業初日は雨の中、開店前に4万人が列を作り、推定25万人が来場した〔。初年度は200店舗、年間来場者数約1,200万人〔「三井ショッピングパーク ららぽーとTOKYO-BAY」 「西館」建替え推進を決定 、三井不動産、2011年6月15日。〕。その後さらに規模が拡大していき、450の専門店飲食店に加えて映画館などのアミューズメント施設を備え、年間約2,500万人が訪れている。
かつては売り場面積が日本全国で1位で、CMなどでもそのように紹介していた。イオンレイクタウンなどが開業して以降は第5位。コート(広場)ではストリートパフォーマンスや音楽ライブなど多様なイベントが催され、地元放送局bayfmの公開収録も行われる。セレクトショップや若年層向けの店舗を充実させるなど、時代に合わせて継続的に増床、改装を繰り返している。
2000年には、近場の海浜幕張駅周辺にコストコ幕張倉庫店、カルフール幕張(現:イオン幕張店)が相次いで開業、また、三井不動産グループも三井アウトレットパーク 幕張を開業させた。舞浜駅前にはイクスピアリが開業し、さらに2004年には隣接地にビビットスクエア(現:ビビット南船橋)が開業するなど、周辺地域にショッピングセンターが乱立した。この影響で売り上げが落ち込むと予想する声もあったが、地域の集客力が上がったことにより、かえって以前よりも来客数が増える傾向にある。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ららぽーとTOKYO-BAY」の詳細全文を読む



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