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谷口朱里 : ミニ英和和英辞書
谷口朱里[たにぐち しゅり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [しゅ, あけ]
 【名詞】 1. (1) scarlet 2. red 3. (2) bloody 
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

谷口朱里 : ウィキペディア日本語版
谷口朱里[たにぐち しゅり]

谷口 朱里(たにぐち しゅり、1941年11月29日 - )は、日本の女優、元ファッションモデルである〔キネ旬, p.435.〕〔''谷口朱里''、''jlogos.com'', エア、2014年10月1日閲覧。〕〔キネ旬, p.8, 15, 31, 40, 57, 60, 91, 128.〕〔Cowie(1967), p.353.〕〔年鑑, p.325-333.〕〔年鑑, p.169-170.〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年10月1日閲覧。〕〔''Shuri Taniguchi''・''Juri Taniguchi''・''Akari Taniguchi'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、日本映画情報システム、文化庁、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''日本映画製作者連盟、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''KINENOTE, 2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''allcinema, 2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''日本映画データベース、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''テレビドラマデータベース、2014年10月1日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2014年10月1日閲覧。〕。名の読みは「じゅり」「あかり」とする資料も存在する〔。本名は平沢 孝絵(ひらさわ たかえ)、初期芸名水原 リエ(みずはら リエ)〔〔〔。伊藤道郎のモデルクラブ「すみれモデルグループ」出身のモデルであり、若松孝二が製作、大和屋竺が監督した『裏切りの季節』に主演したことで知られる〔〔〔〔〔。奥野信太郎エッセイ『女へんの話』に登場することでも知られる〔奥野, p.272-273.〕。のちに新劇女優に転向した〔〔〔人間座アーカイヴ 人間座、2014年10月1日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==

=== ファッションモデルから女優へ ===
1941年(昭和16年)11月29日、日本の第二次世界大戦参戦を目前とした時期、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草地区)に生まれる〔〔〔。終戦を迎えたときには満3歳であった〔〔〔。
1960年(昭和35年)3月、東京都立紅葉川高等学校を卒業する〔〔。同校卒業後、伊藤道郎が主宰する「伊藤道郎俳優養成所ファッションモデル養成コース」に入所する〔〔。伊藤は、翌1961年(昭和35年)11月3日に死去しているが〔、2014年10月1日閲覧。〕、伊藤が手がけ、松田和子らを育てた文化服装学院系のモデルクラブ「すみれモデルグループ」(S.M.G., 1952年設立)に所属した谷口は、ファッションモデルとしての活動を開始した〔〔。その後、第一協団(代表・浅田健三)に参加、俳優に転向した〔〔。1965年(昭和35年)6月29日に公開された、扇町京子主演の成人映画『色欲のもつれ』に水原 リエの名で出演し、映画界にデビューした〔〔〔。同年8月に公開〔(9月公開とも〔)された『密戯』(監督向井寛)で主演する際に谷口 朱里と改名、以降、この名で定着する〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、谷口の名は挙げられていない〔田中, p.85-86.〕。しかしながら谷口は、同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた人物のうち、1965年という初期の時期に、向井寛の第3作『密戯』のほか、藤田潤一が岡野進の名で監督した第2作『情怨の女子大生』(同年11月公開)、あるいは福田晴一の成人映画転向第2作『寝がえり』(1966年5月3日公開)に主演しており〔〔〔、独立系成人映画の黎明期の女優であるといえる〔〔〔。
1966年(昭和41年)に創刊された成人映画の専門誌成人映画』第3号の表紙に起用されたほか〔成人映画, 表(1).〕、同年12月に発行された映画批評誌映画評論』が選んだ「おピンク映画女優ベストテン」では、1位・内田高子、2位・新高恵子、3位松井康子という並びのなかで、谷口は第9位にランクインした〔映画評論, p.2-4.〕。同年6月〔(12月13日とも〔)に公開された大和屋竺・若松孝二の『裏切りの季節』に主演〔〔〔〔、その熱演は高く評価され〔、『映画評論』は同作を「上半期日本映画最高の収穫」として特集を組んでいる〔映画評論, p.20-33.〕。同年9月、国映が香取環、松井康子、清水世津可能かず子飛鳥公子美矢かほる奈加公子桂奈美、橘桂子といった成人映画スター女優を結集した『悲器』(監督湯浅浪男)を公開、谷口もこれに出演した〔〔。1967年(昭和42年)6月29日に放送されたテレビ番組ヤング720』第205回にザ・ビーバーズ山本リンダらとともにゲスト出演している。1968年(昭和43年)3月30日に公開された『続・決着』(監督石井輝男、製作東映東京撮影所、配給東映)に出演し、メジャーデビューも果たす〔〔〔〔。同年7月30日に放映を開始した大映テレビ室製作、天知茂主演による連続テレビ映画夜の主役』において、同年10月22日に放映された第13回(監督鈴木敏郎、脚本佐々木守)に、ホキ徳田白石奈緒美らとともにゲスト出演している〔。当時、専門誌成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「美しいプロポーションと個性的なマスクで人気を得た」「前向きの行動派としてやる気満々だった」と評する〔。
同年、映画界を引退し、新劇の劇団「人間座」(代表・江田和雄)に加入する〔。記録に残る同年最後の映画は、12月に公開された主演作『亀裂』(監督木俣堯喬、製作プロダクション鷹)であった〔。ただしこの時期の作品記録が掲載されている『映画年鑑 1973』において、独立系の映画作品については監督名や製作・配給会社名以外記載されておらず、この時期の出演者が概して不明である〔。『日本映画俳優全集・女優編』の川島のぶ子の記述によれば、「舞台に数回出演したが、その後、芸能界から完全に身を引いた」という〔。同年11月1日 - 同11日に新宿文化劇場(現在跡地にシネマート新宿)で上演された石堂淑朗の戯曲『血塗られし胎内列車に乗り合わせる三人半』(演出江田和雄)、同年12月17日 - 同21日に日本青年館ホールで上演された栗田勇の戯曲『詩人トロツキー』(演出江田和雄)に出演した記録が残っている〔。
1970年代に入ってから、1971年(昭和46年)3月27日審査・4月公開の『近世毒婦伝 少女地獄責め』〔〔、1975年(昭和50年)6月公開の『女のいけにえ』という2作の向井寛監督作に出演した記録がある〔。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満73歳である〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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