翻訳と辞書
Words near each other
・ 堀田茜
・ 堀田行長
・ 堀田訓幸
・ 堀田貢
・ 堀田郷弘
・ 堀田金星
・ 堀田陽一
・ 堀田隆夫
・ 堀田隼人
・ 堀田頼保
堀田頼康
・ 堀田駅
・ 堀田駅 (名古屋市営地下鉄)
・ 堀田駅 (名鉄)
・ 堀田鼎
・ 堀田龍也
・ 堀由史
・ 堀畑杏奈
・ 堀畑裕之
・ 堀畑裕也


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堀田頼康 : ミニ英和和英辞書
堀田頼康[ほった よりやす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

堀田頼康 : ウィキペディア日本語版
堀田頼康[ほった よりやす]
堀田 頼康(ほった よりやす、万治元年(1658年) - 享保9年3月22日1724年4月17日))は、江戸時代柔術家。名は頼保あるいは頼庸と表記されることもある。通称は佐五右衛門自諾。前名は平野頼建
前名を平野頼建といい、起倒流を吉村扶寿に学び、赤穂藩で200取の近習役として仕えていた。
藩主・浅野長矩切腹後、始めは仇討ちの義盟に参加していたが、大石家の金を盗んで京都に逃げ、堀田階康と名を変え、後に頼康と変えた。京都で道場を開き、自らの流儀を「起倒柔術雄雌妙術」と称した。後に大坂に移った。
享保9年(1724年)3月22日、大坂で死去した。享年67。
赤穂藩時代の弟子に大石良雄萱野重実間光興らがおり、大石と萱野には免許を授けたという。京都に逃げた後の弟子では滝野遊軒がいる。
== 参考文献 ==

*綿谷雪 『完本 日本武芸小伝』 国書刊行会 2011年
*綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部 1978年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀田頼康」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.