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龍造寺信周 : ミニ英和和英辞書
龍造寺信周[りゅうぞうじ のぶちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)

龍造寺信周 : ウィキペディア日本語版
龍造寺信周[りゅうぞうじ のぶちか]

龍造寺 信周(りゅうぞうじ のぶちか)は、戦国時代から 江戸時代前期にかけての武将龍造寺周家の第二子。龍造寺隆信の次弟だが、異母兄弟であったため、隆信と同母弟の長信より地位は低かったらしい。
== 生涯 ==
隆信とともに各地を転戦し、武功を挙げたといわれている。
元亀元年(1570年)に大友氏龍造寺氏が戦った今山合戦後、局地戦では大勝した龍造寺軍ではあったが、国内情勢は不安定であった為に、大友氏とこのまま抗争状態になるのは不利と判断。大友氏からの要請により、人質として大友氏へ派遣され、和議を成立させている。
天正12年(1584年)に沖田畷の戦いでの兄隆信が戦死した後に須古城へ移り、豊臣秀吉九州征伐朝鮮出兵などを経て、龍造寺氏から鍋島直茂への権力の移譲が進むと、この流れに従って、鍋島氏の肥前支配体制を認めた。
龍造寺高房の龍造寺氏復権への動きに対し、幕府が事情聴取のために、信周と弟龍造寺長信(一説には子の多久安順)、龍造寺家晴の3人を江戸に招聘した。この時、3人は鍋島氏の肥前支配を認めたこともあり、鍋島氏の肥前支配は決定的となった。
なお、信周の子孫は須古鍋島家龍造寺四家の一つ)として、佐賀鍋島家の重臣として明治維新を迎えた。
慶長13年(1608年)死去。跡を二男の龍造寺信昭が継ぐ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「龍造寺信周」の詳細全文を読む




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