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黒津勝 : ミニ英和和英辞書
黒津勝[くろつ まさる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 

黒津勝 : ウィキペディア日本語版
黒津勝[くろつ まさる]

黒津 勝(くろつ まさる、1982年8月20日 - )は、日本サッカー選手。Jリーグガイナーレ鳥取所属。ポジションはフォワード
== 来歴 ==
茨城県古河市出身。総和北中学校卒業後、花咲徳栄高等学校に入学、同学校を卒業後、2001年川崎フロンターレに入団。
2年目の2002年8月25日、公式戦デビューとなったホームでのJ2第27節大宮アルディージャ戦で、出場後ファーストタッチでゴールを決めるという離れ業を演じる。2003年は怪我もあり不遇の時期を過ごすが、翌2004年シーズン終盤にチャンスを掴み、14試合に出場し3得点を記録。チームのJ1昇格に貢献した。
2005年、相次ぐフォワード陣の負傷により出場機会を得ると、J1初出場となったアウェイでの第5節ヴィッセル神戸戦でJ1初得点を記録した。ナビスコカップの予選リーグでは4試合連続得点を決めるなどの活躍を見せ、層の厚いフロンターレ攻撃陣において存在感を示した。
2007年シーズンより背番号を入団当時の24から7へ変更、AFCチャンピオンズリーグ出場により過密日程となった川崎にあって、少ない出場時間でも結果を残す決定力の高さからチームの重要な戦力として稼動する。4月21日の敵地での第7節浦和レッドダイヤモンズ戦では、森勇介の欠場で布陣が揃わない中で左ウイングバックとして先発出場。先制点となる我那覇和樹の得点をアシストするなど高水準のプレーを披露し、浦和のホームゲーム無敗記録を止める勝利を演出した。
5月に日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初選出された。
2008年12月24日宝塚歌劇団卒業生湖城ゆきのと入籍。
2010年7月、エースであった鄭大世VfLボーフムへ移籍したことにより、先発起用される。8月7日放送の『スーパーサッカー』で「鄭大世の穴を埋める存在」として紹介された。この年、自己最多の8得点を記録した。8月24日に長女が誕生したことを発表した〔黒津に第1子「親バカになる気持ちが分かります」…川崎 、スポーツ報知、2010年8月26日発行。〕。
2011年は前年後半の活躍から期待されていたものの、開幕戦2日前にアキレス腱周囲炎を発症し、回復に期間を要し、リーグ戦は最終戦のロスタイムに出場したのみに終わり、天皇杯を含め、わずか2試合の出場に終わった。
2012年、復活を期したものの、開幕戦直後に左足首を痛めるなど怪我に悩まされ、3試合の出場に終わる。同年オフ、契約満了により12年間在籍した川崎を退団〔契約満了選手のお知らせ 、川崎フロンターレ、2012年12月5日〕。
2013年横浜FCへ完全移籍〔黒津勝選手 完全移籍加入のお知らせ 、横浜FC、2013年1月10日〕。2015年シーズン終了後、契約満了により横浜FCを退団〔来季の契約を更新しない選手について 、横浜FC、2015年11月19日〕。
2016年ガイナーレ鳥取へ移籍〔黒津 勝 選手 完全移籍加入のお知らせ 、ガイナーレ鳥取、2016年1月12日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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