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鷹司政通 : ミニ英和和英辞書
鷹司政通[たかつかさ まさみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. falcon (Falconidae family) 2. hawk 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

鷹司政通 : ウィキペディア日本語版
鷹司政通[たかつかさ まさみち]
鷹司 政通(たかつかさ まさみち、寛政元年7月2日1789年8月22日) - 明治元年10月16日1868年11月29日))は、江戸時代の公家政治家。父は関白鷹司政煕、母は正室・蜂須賀儀子。正室は徳川治紀の娘・鄰姫(清子)。
文政6年(1823年)に関白に就任、天保13年(1842年)には太政大臣に就任する。5年前後で関白職を辞する当時の慣例に反して安政3年(1856年)に辞任するまで30年以上の長期にわたって関白の地位にあり、朝廷で大きな権力を持った。
弘化3年(1846年)に仁孝天皇が急逝した際には、喪を秘して政通を准摂政として事態の収拾を図った。孝明天皇の信認も厚く、関白辞任後(九条尚忠が後任)も内覧を許され、依然として朝議に隠然たる影響力を行使した。安政3年(1856年)12月9日には異例の太閤の称号を孝明天皇から贈られる(本来「太閤」は関白職を子弟に譲った前関白を指す)。義弟の水戸藩主・徳川斉昭から異国情勢についてこまめに連絡を受け、孝明天皇に知らせた。
当初は開国論に立って日米和親条約締結を主張したが、若手公卿の批判を受けると一転して攘夷派となる。これが幕府の怒りに触れて落飾し、出家した。
その後、明治元年(1868年)に死去した。
== 家族 ==

* 父 - 鷹司政煕
* 母 - 蜂須賀儀子(第10代徳島藩主蜂須賀重喜次女)
* 妻 - 徳川清子(第7代水戸藩主徳川治紀娘・鄰姫)
* 子 - 主だった人物のみ表記
 * 鷹司輔煕
 * 華園摂信真宗興正寺第27世門主・本寂
 * 鷹司介子(専修寺円禧夫人)
 * 鷹司興子(本照寺攝喜夫人)
 * 鷹司麗子(久我建通室)
 * 鷹司標子蜂須賀斉裕室)
 * 徳大寺公純
 * 九条幸経
 * 鷹司積子(伏見宮貞教親王妃)
 * 渋谷教応真宗佛光寺第25世門主・真達
 * 鷹司美津子(今出川実順室)
* 養子
 * 鷹司通子(久我建通の娘・前田慶寧室)
 * 鷹司任子(妹・第13代将軍徳川家定室)





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鷹司政通」の詳細全文を読む




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