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高根澤力 : ミニ英和和英辞書
高根澤力[たかねざわ つとむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [こん, ね]
 【名詞】 1. root 
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 

高根澤力 : ウィキペディア日本語版
高根澤力[たかねざわ つとむ]

高根澤 力(たかねざわ つとむ、1973年10月25日 - )は元社会人野球の選手(捕手)である。
== 人物・来歴 ==
宇都宮学園高校では2年の秋から主将と四番・捕手を務め、秋の関東大会で萩原淳を擁する東海大甲府を延長の末に破って準優勝し〔朝日新聞、1990年11月9日付朝刊、栃木地方面〕、翌春の選抜大会出場を決める。本大会では2回戦で関東大会決勝に続き市川と対戦し、自身はタイムリーヒットを放ち追加点を挙げたものの、逆転サヨナラで敗れた〔朝日新聞、1991年4月3日付朝刊、栃木地方面〕。3年夏のは栃木県大会で打率.364を記録してチームを支え〔朝日新聞、1991年8月10日付朝刊、栃木地方面〕、選手権大会に出場している。本大会では初戦で優勝候補の天理と対戦し、谷口功一に抑えられ1対4で敗れた。
日本大学へ進学すると、野球部では一学年上の北川博敏と正捕手の座を争い、2年春には三塁手としてレギュラーになっている〔朝日新聞、1993年4月6日付朝刊、P.21〕。2年秋にはリーグ3位の打率.388を記録して捕手として初めてベストナインに選ばれた〔読売新聞、1993年10月28日付朝刊、P.23〕。3年春は三塁手としてベストナインを受賞し〔朝日新聞、1994年5月27日付朝刊、P.21〕、同じく三塁手として同年の日米大学野球の東京会場での代表にも選ばれている〔毎日新聞、1994年6月20日付朝刊、P.20〕。4年になると主将を任され、春季リーグではリーグ2位の打率.404を記録して捕手としてベストナインに選出された〔朝日新聞、1995年5月26日付朝刊、P.25〕。同年はユニバーシアード福岡大会の日本代表に高木大成大橋晋也とともに捕手として選ばれている〔朝日新聞、1995年8月21日付朝刊、P.21〕。東都大学リーグ通算81試合出場、267打数79安打、打率.296、12本塁打、46打点。11月にはプロ志望届を提出し〔読売新聞、1995年11月10日付朝刊、P.27〕、ドラフト会議での有力な指名候補と見られていた〔毎日新聞、1995年11月18日付朝刊、P.18〕が、獲得する球団は現れず三菱自動車川崎に入社した。
同社野球部では勝負強さと長打力を持ち味とし、1年目から桑元孝雄西郷泰之とともに主軸を任された〔毎日新聞、1996年6月8日付朝刊、神奈川地方面〕。同年の都市対抗では内野手として登録されている〔毎日新聞、1996年8月16日付朝刊、P.15〕。翌は都市対抗の県予選で1試合4本塁打を記録し〔毎日新聞、1997年6月27日付朝刊、神奈川地方面〕、同年はJABA東京スポニチ大会で敢闘賞を受賞したほか、神奈川県野球協会のベストナインに三塁手として選ばれた。には中学時代の同級生と結婚している〔毎日新聞、2005年9月2日付朝刊、P.30〕。は捕手登録となり、IBAFインターコンチネンタルカップの代表にも捕手として選出された〔毎日新聞、1999年10月16日付朝刊、P.20〕。
都市対抗では補強選手の安田真範とともに捕手を務め、チームの初優勝を支えた。は県予選で打率.600、3本塁打、9打点の活躍で三冠王となり、都市対抗出場に貢献〔毎日新聞、2003年6月25日付朝刊、神奈川地方面〕。本大会では1回戦の対サンワード貿易戦で決勝タイムリーを放ち〔毎日新聞、2003年8月29日付朝刊、神奈川地方面〕、チームが3年ぶりの優勝を果たすとともに大会優秀選手に選ばれている。また同年はIBAFワールドカップ日本代表に選ばれ、初の社会人ベストナインも受賞した。は会社のリコール隠しのため7月から3ヶ月間練習を自粛し、都市対抗への出場も辞退となった〔。この間、高根澤自身も単身赴任で販売会社の整備助手として勤務している〔。
アジア選手権の日本代表に選ばれ、打率6割で首位打者賞を獲得し優勝に貢献した〔毎日新聞、2005年5月23日付朝刊、P.15〕。都市対抗では日産との決勝戦で2安打を放ち〔、チームも2年ぶりに優勝した。9月のIBAFワールドカップでは正捕手として1次リーグの6試合に出場し打率5割、4本塁打と好調な打撃を見せ、投手の持ち味を引き出すリードも高い評価を受けている〔毎日新聞、2005年9月15日付朝刊、P.21〕。同年は2度目の社会人ベストナインを受賞したが、母校・宇都宮学園の監督就任要請を受けて翌年2月に退部を決めた〔毎日新聞、2006年6月3日付朝刊、神奈川地方面〕。
しかし関係者の調整ができていなかったため監督就任は実現せず、現在は文星芸術大学の職員として勤務している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高根澤力」の詳細全文を読む




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