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馮元興 : ミニ英和和英辞書
馮元興[ふう げんこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

馮元興 : ウィキペディア日本語版
馮元興[ふう げんこう]
馮元興(ふう げんこう、? - 532年)は、北魏官僚学者は子盛。本貫東魏郡肥郷県
== 経歴 ==
若い頃は伯父の馮僧集に従って平原にあり、中山の張吾貴や常山の房虬を師として学び、三礼に通じ、文才があった。23歳のとき、郷里に帰って学問を教え、弟子は数百人となった。孝廉に推挙され、また秀才に挙げられた。御史中尉の王顕の推薦を受けて検校御史となった。まもなく殿中に転じ、奉朝請に任ぜられ、三度高句麗への使者に立った。
江陽王元継司徒となると、元興はその下で記室参軍となり、元叉の知遇をえた。元叉が北魏の朝政をつかさどるようになると、元興は召されて尚書殿中郎となり、中書舎人を兼ね、御史をつとめた。元叉の腹心として、身を低くして時事の相談に応じた。太保崔光が臨終にあたって元興を侍読に推薦した。元興は式乾殿で孝明帝杜預の『春秋経伝集解』を講義した。
元叉が粛清をおそれて自ら軍権を返上しようと考え、元興を訪れて相談した。元興が「公のお考えが分かりません」と言うと、元叉は「卿はわたしが乱を起こすことを望んでいるというのか」と訊ねた。元興はあえて言を発することなく、叛乱を勧めた。元叉が死を賜ると、元興も官爵を奪われて蟄居させられた。自らの境遇を「有草生碧池、無根緑水上、脆弱悪風波、危微苦驚浪」という浮萍詩を作って託した。
丞相の高陽王元雍に召されてその下で働いた。しばらくして、官を去って郷里に帰った。僕射の元羅が東道大使となると、元興は東魏郡太守に任じられた。まもなく母の喪のため家に帰った。529年、上党王元天穆邢杲を討つと、元興は召されて大将軍従事中郎となった。元顥が洛陽に入ると、元興は平北将軍・光禄大夫となり、中書舎人を兼ねた。孝荘帝が洛陽に帰ると、元天穆の下で太宰諮議参軍となり、征虜将軍の位を加えられた。531年、安東将軍・光禄大夫となり、中書舎人を兼ねた。532年、家で死去した。征東将軍・斉州刺史の位を追贈された。『文集』百余篇があった。
元興は寒門の出身で、元叉の勢力をたのんで任用されたため、当時の人に非難された。家は貧しかったが、食客数十人をかかえており、衣食をともにして、吝嗇な様子を見せなかった。郷里の治安が乱れていたため、たびたび監軍となったが、元興の処断の多くは郷里の人々にうらまれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「馮元興」の詳細全文を読む




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