翻訳と辞書
Words near each other
・ 孝文貞皇后
・ 孝昌
・ 孝昌公園前駅
・ 孝昌県
・ 孝昌駅
・ 孝明
・ 孝明世子
・ 孝明天皇
・ 孝明天皇宸翰
・ 孝明天皇宸翰 (文久3年10月9日)
孝明帝
・ 孝明帝 (北魏)
・ 孝明皇后
・ 孝昭
・ 孝昭仁皇后
・ 孝昭天皇
・ 孝昭帝
・ 孝昭帝 (北斉)
・ 孝昭王
・ 孝昭皇后


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

孝明帝 : ミニ英和和英辞書
孝明帝[こうめいてい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 

孝明帝 : ウィキペディア日本語版
孝明帝[こうめいてい]

孝明帝(こうめいてい)は、北朝北魏の第8代皇帝宣武帝の子。
== 生涯 ==
510年3月、洛陽の宣光殿の東北に生まれた。512年皇太子に立てられた。515年1月、宣武帝が死去すると、北魏の皇帝として即位することとなった。幼年のため政治を執ることができず、はじめ高陽王元雍や任城王元澄が聴政した。8月、母の胡氏が皇太妃から皇太后となり、宣光殿で臨朝称制して、朝政の実権を握るようになった。
孝明帝の初年は、大乗の乱が起こって河北は動揺した。やがて侍中の元叉や中常侍の劉騰が宮中で台頭して、520年には孝明帝に政権を返すとの名目で胡太后を幽閉した。元叉と高陽王元雍の二頭体制が成立したが、実際は元叉が北魏の朝政を専断し、乱脈をきわめた。
523年、沃野鎮の破六韓抜陵が起兵して、鎮将を殺し、これを皮切りに六鎮の乱が勃発することとなった。胡琛・葛栄杜洛周らが北魏に叛いて次々と起兵した。また徐州元法僧や東豫州の元慶和らが叛いてにつくなど、東南方の国境も不安定になった。

525年4月、胡太后が再び朝政をみるようになった。元叉は兵権を剥奪され、翌年に処刑された。胡太后の執政のもと、北魏の朝政は弛緩し、六鎮の乱は拡大するばかりとなった。
528年2月、孝明帝は胡太后を牽制するため、爾朱栄と手を結ぼうとしたが、これが露見して毒殺された。19歳の若さだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「孝明帝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.