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飴屋法水 : ミニ英和和英辞書
飴屋法水[あめや のりみず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あめ]
 【名詞】 1. (gen) (food) (hard) candy 2. toffee 
: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 

飴屋法水 : ウィキペディア日本語版
飴屋法水[あめや のりみず]

飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は、日本の現代美術家演出家劇作家、アートパフォーマーである。動物商であったこともあり、Twitterのプロフィールには、自分の職業がわからないとも書いている。
== 来歴 ==
山梨県甲府市生まれ。神奈川県育ち。神奈川県立小田原高等学校卒。高校の演劇部在籍中は安部公房唐十郎戯曲を演出。1978年(17歳)唐十郎の「状況劇場(紅テント)」に参加、5年間、音響を担当。1983年に独立し「東京グランギニョル」を旗揚げ。当時庭師であった嶋田久作やバイト先の同僚、ミュージシャンのコシミハルなど演劇未経験者を起用しながら、発語と音楽、物と身体を等価にあつかうような、その「残酷劇」は、当時の小劇場の中でも異質な存在として注目されるも、4作品で解散。
1987年、大崎の廃工場にアトリエを構え、美術家三上晴子との共同企画により30トンあまりの鉄とコンクリートの中で上演。その後、新たに結成したM.M.Mの「スキン/SKIN」シリーズでは、メンバー自作の台詞を喋るマシンを俳優とした。またこの頃から廃ビルのトイレで暮らし始める。
1990年以降、レントゲン藝術研究所のディレクター池内務の招きもあり、活動を現代美術の場へと移行。テクノクラート名義により、人工的な生命と生活をテーマとした「ダッチライフ/Duch Life」シリーズを発表。延命治療医中の昭和天皇を思わせるロボット、HIV感染者の血液の展示、化学薬品のみで調合した食品、貨幣に付着した雑菌の繁殖、輸血や同居者交換の募集、展示鑑賞時の視力設定など、いずれも販売可能な美術品ではないため、後に飴屋は、結局どれも演劇/上演であった、と述べている。
当時、デビューまもない村上隆会田誠ヤノベケンジ小沢剛、批評家の椹木野衣らが、レントゲン芸術研究所を拠点として生み出した現代美術の流れに参画したが、前述の理由で、飴屋は自らを美術家と名乗ることは躊躇しており、1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレに、冷凍保存した精液(遺伝子)を使って人工授精の希望者を募る「パブリックザーメン/公衆精子」にて参加するも、帰国後、ギャラリーでの発表を止める。
同年、異種の生き物と「同居」したい人への斡旋、ミミズ寄生虫などあらゆる生き物を等価に売買対象とする目的で、アニマルストア「動物堂」を東京東中野に開店。動物商を名乗る。「動物堂」は後にフクロウに専門化した「OwlRoom」に発展、異種が同居するうえで、「狼少女」のような別種刷り込みの可能性を考察し始める。
1999年、椹木野衣の企画した「日本ゼロ年」展に参加するも、参加契約書の掲示と、参加作家や来場者に、日本の戦後、高度成長期に刷り込まれたことを問うアンケートをしたのみ。その後、茨城県の水道もゴミの収集もない場所に移住し、別種刷り込みによって人間に発情するフクロウと暮らし始めるが、そのフクロウの死と、自らの父親の死を経て、2004年、東京での活動に戻る。
2005年、「バ ング ント」展にて、全く光の入らない180cm四方の白い箱に、わずかの水と食料を持ち込み、24日間こもり続ける。2006年、大友良英が手掛けた「幽閉者 テロリスト」のサウンドトラックに画鋲をこする音で参加。以後、大友良英の多くのライブに「物音」担当として参加するようになる。この年、1児をもうける。
2007年、飴屋の演劇への復帰を望む宮城聰の企画で、平田オリザの戯曲「転校生」を演出。「転生」をテーマに静岡在住の女子高生18名と老婦人を起用。その「転校生」が2009年のフェスティバルトーキョーに招聘されたのを機に、本格的に演劇活動に復帰。日本に移住した外国人を起用した「サイコシス」、グラウンドの穴や廃屋を舞台にした「わたしのすがた」、夢の島における野外劇「じ め ん」など、4回連続でフェスティバルトーキョーに参加。
2008年以降、山川冬樹と参加した「原宿パフォーマンスプラス」を機に「吾妻橋ダンスクロッシング」「エクスポナイト」などジャンル横断的なイベントに多く参加。大分や新潟など地方の芸術祭への参加、商業演劇的な舞台の演出も手掛ける一方、2013年には、作家朝吹真理子とのテキスト共作、いわき総合高校の生徒と校庭で上演した「ブルーシート」、家族3人での上演「教室」など、活動は多岐に渡る。2014年「ブルーシート」で第58回岸田國士戯曲賞受賞。
また、パフォーマーとしてライブに参加することも多く、大友良英テニスコーツ七尾旅人小山田圭吾ECDMARK青葉市子など、世代を超えた多くのミュージシャンと共演。フィッシュマンズのサウンドエンジニアであったzAkとの交流も深い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「飴屋法水」の詳細全文を読む




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