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飯富虎昌 : ミニ英和和英辞書
飯富虎昌[おぶ とらまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [めし]
 【名詞】 1. (sl) meals 2. food 
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [とら]
 【名詞】 1. tiger 

飯富虎昌 : ウィキペディア日本語版
飯富虎昌[おぶ とらまさ]

飯富 虎昌(おぶ とらまさ)は、戦国時代武将甲斐武田氏の重臣。
武田信虎の時代から武田家の譜代家老衆として仕え、信濃佐久郡内山城を領した。名は虎昌とされるが、義信側近が連署した「二宮祭礼帳」にその名は見当たらず、検討の余地がある〔。
== 生涯 ==

=== 信虎時代 ===
飯富氏甲斐源氏の一族で、源義家の四男・源義忠の子・飯富忠宗の末裔と言われる。別説に古代の多氏の末裔説がある。戦国時代の甲斐国では武田信虎家臣に飯富道悦がおり、『勝山記』によれば永正12年(1515年)10月17日に道閲は西郡の国人・大井信達との戦いにおいて子息とみられる「源四郎」とともに戦死している。この飯富源四郎が虎昌・山県昌景兄弟に父親にあたると考えられている。
永正元年(1504年)に生まれたとされているが、生年には諸説があって定かではない。
享禄4年(1531年)、今井信元栗原兵庫らと共に信虎に反旗を翻したが、敗れて降参し、許されたのちは信虎に臣従した〔。天文5年(1536年)に北条氏綱駿河に侵攻すると、信虎と共に今川軍の援軍として参戦し、北条軍を大いに破った。天文7年(1538年)にも諏訪頼満村上義清の連合軍と戦い、このとき寡兵であるにも関わらず、数で勝る連合軍を打ち破り、自らは首級97を挙げるという軍功を挙げたとまでされている。
天文10年(1541年)、武田家宿老であり有力国人であった板垣信方甘利虎泰らと共に信虎の嫡男・晴信を擁立して信虎を駿河に追放し〔、以後は武田家の宿老として晴信をよく支えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「飯富虎昌」の詳細全文を読む




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