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顔之推 : ミニ英和和英辞書
顔之推[がん しすい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

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顔之推 : ウィキペディア日本語版
顔之推[がん しすい]
顔之推(がん しすい、531年 - 591年以降)は、中国の南北朝時代末期の学者。は介。本貫は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市費県の東)。
==経歴==
の鎮西府諮議参軍の顔協(顔勰ともいう)の子として生まれた。顔氏は、顔之推の九世の祖にあたる顔含のときに江南に渡って、代々『周礼』や『春秋左氏伝』に通じていた。顔之推も、老荘をきらって儒学を好み、学識にすぐれ、文藻に富んだ。梁の湘東王蕭繹の下で左常侍・鎮西墨曹参軍に任じられた。官にあっては酒を嗜み、放縦な生活を営んだ。郢州で掌管記をつとめていたが、侯景の乱で郢州が陥落すると、捕らえられて建康に送られた。乱が平定されると、江陵に帰った。蕭繹が帝位につくと、顔之推は散騎侍郎となった。554年西魏が江陵を攻め落とすと、顔之推は捕らえられ、李顕慶に庇護されて弘農にうつった。しかし黄河の氾濫に乗じて家族とともに北斉に亡命した。文宣帝に気に入られて奉朝請となり、帝の側近として仕えた。中書舎人・趙州功曹参軍・司徒録事参軍などを歴任し、黄門侍郎となった。北周が北斉を滅ぼすと、のちに御史上士として召された。が北周を滅ぼすと、太子の楊勇に召されて文学となったが、まもなく病没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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