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順正短期大学 : ミニ英和和英辞書
順正短期大学[じゅん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じゅん]
  1. (adj-na,n,n-suf) order 2. turn 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
短期 : [たんき]
 【名詞】 1. short term 
短期大学 : [たんきだいがく]
 【名詞】 1. (two year) junior college 
: [き]
  1. (n,n-suf) period 2. time
大学 : [だいがく]
 【名詞】 1. (1) university 2. (2) the Great Learning - one of the Four Books 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

順正短期大学 ( リダイレクト:吉備国際大学短期大学部 ) : ウィキペディア日本語版
吉備国際大学短期大学部[じゅんせいたんきだいがく]


この項目では本学の前身として2009年度まで存在していた順正短期大学(じゅんせいたんきだいがく、英語:Junsei Junior College)についても述べる。2016年3月に課程休止。なお学園の公称上はあくまでも運営を同じくする吉備国際大学における短期課程の休止にすぎず、廃校とは異なるとしている。
== 概観 ==

1885年福西志計子が設立した順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校家政科)の跡地に、順正短期大学として1967年新設された短期大学である。旧称(現在の運営母体の学園名)である「順正」も同女学校より継承されたものであり、その名称は福西が理想とする人材の指標として掲げた四字熟語である「温」(おんじゅんていせい。穏やかかつ素直にして、誰の目にも明らかに正しいこと)に由来し、その原意(正出典)は『孟子』の「以順為正 妾婦之道成」(順《すなお》を以て正しきを為すは妾婦《しょうふ》〔ここに言う「妾婦」とは、苦難を自ら己の物として立ち向かう女性に対する謙譲ないしは尊敬を交えた敬称の事。妾とは主に従僕として仕える下女の事であり、現在に言うとは多少意味合いが異なる事に注意。資料や訳書によっては「以順為正者 妾婦之道成」(順を以て正しきを為す者は、妾婦の道を成す)としている場合もある。〕の道なり)ないしは『礼記』の「君子は情に帰ってその志を和げ邪僻の気は身体の中におかず、知覚肉体すべて順正の道によって本義を実行せしむ」にある〔高梁市史(旧版) p.1011〕とされる。それは、本学の設置を望んだ地元・高梁市に在する旧順正の卒業生および、それを受けて本学を設置した者たちによる「名を戴き理念を受け継ぐ」という思いからの事であるとされる。
本学設立のきっかけとなったのは、昭和41年(1966年)岡山県当局の主導で行われた高梁高等学校伊賀町校舎の廃止である。これに対して、地元・伊賀町および頼久寺町、さらには福西の教え子たちともいえる順正女学校・順正高等女学校・高梁高等女学校・高梁高等学校家政科と連綿と歴史を紡いで高梁の地に根を下ろしてきた「順正の卒業生」たちが反発。彼女らは自らが慣れ親しんだ伊賀町から学び舎の灯が消える事を嘆き、その悲痛を高梁市に申し入れた。市は伊賀町校舎の跡地活用として様々な模索をしてきたが、最終的には彼女らの陳情を受諾し、伊賀町に教育機関を設立することを決定する。
しかし当時の市財政では県の補助をもってしても公立教育機関の設立は困難であったため、当時の高梁市長であった鈴木雄祥は岡山県・広島県の各地で教育機関を設置させ、運営実績のあった加計勉に誘致を打診する。加計は「順正の卒業生」たちの願いと、それを汲まんとする市長および市当局の熱意、さらには市にそれだけの事をさせた福西の遺志とそれを絶やさなかった教え子たちの存在に感じ入って、高梁市の要請に応える事を決意。高梁市と共同出資の形で「学校法人 高梁学園」〔のちの順正学園〕を設立。順正女学校跡地に共学校である「順正短期大学」を新設させた。この新設校が当時の女子高等教育機関としてポピュラーであった短期大学とされたのも、その学校に「順正」の名を遺したのも、福西が業績を打ち立てた順正の地に他ならぬ福西の理想とした女子のための高等教育機関を、と旧順正の卒業生たちが加計に対し陳情した結果だった。この設立時における歴史の流れから、本学および後述の順正高等看護福祉専門学校および吉備国際大学は福西を準学祖として推戴している。
設立時より附設教育機関(附属専門学校)として順正高等看護福祉専門学校(通称:順正高看)〔設立時は順正高等看護専門学院〕を持つ。のち1980年代から1990年代にかけて国際社会の到来を予感したがゆえの全国における国際大学が設立される時代の趨勢により、加計(高梁学園)は1990年に順正短期大学の隣地へ、実質的な上位校として吉備国際大学を設立させた。以降、同大学と本学は一体的な運用が成され、2010年における運営母体の組織改革をもって吉備国際大学に併合されて同大学の短期課程となる。また、この組織改革によって「順正」の名は運営法人の名となった。のち2014年に学生の新規受験受付を停止。2016年に、順正としての伝統を併設校である順正高等看護福祉専門学校と上位校である吉備国際大学に譲り課程を休止する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉備国際大学短期大学部」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kibi International University Junior College 」があります。




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