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青山忠門 : ミニ英和和英辞書
青山忠門[あおやま ただかど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青山 : [せいざん, あおやま]
 【名詞】 1. (1) blue or green mountain 2. (2) grave 3. burial place 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

青山忠門 : ウィキペディア日本語版
青山忠門[あおやま ただかど]

青山 忠門(あおやま ただかど )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将三河松平氏の家臣。
青山氏は、上野国の出身で、忠門の時に近江国から三河国へ移り、額田郡百々村を領して松平広忠に仕えたという。第二次小豆坂の戦いにも参戦した。広忠死後は一時、今川義元の麾下に入るが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは広忠の子・元康(のちの徳川家康)の寄騎となり、義元死後は元康に帰属する。永禄6年(1563年)、三河一向一揆の際も元康側につき、岡崎城を守備した。
死に関しては諸説あり、元亀2年(1571年武田氏の三河侵攻に際しては良く防戦したが、その時の傷が元で死亡したという説と、天正3年(1575年)、武田氏との戦いで討ち死にしたという説がある。1571年説では享年54、1575年説では享年65。
子の忠成徳川氏に仕え、江戸期を通じて譜代大名として列せられた。
== 参考文献 ==

* 阿部猛・西村圭子編『戦国人名事典』 1990年 新人物往来社 ISBN 978-4404017529
* 『寛政重修諸家譜』第12巻


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「青山忠門」の詳細全文を読む




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