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電力中央研究所 : ミニ英和和英辞書
電力中央研究所[いっぱんざいだんほうじんでんりょくちゅうおうけんきゅうしょ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

電力 : [でんりょく]
 【名詞】 1. electric power 
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中央 : [ちゅうおう]
 【名詞】 1. centre 2. central 3. center 4. middle 
研究 : [けんきゅう]
  1. (n,vs) study 2. research 3. investigation 
研究所 : [けんきゅうしょ, けんきゅうじょ]
 【名詞】 1. research establishment (institute, laboratory, etc.) 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

電力中央研究所 : ウィキペディア日本語版
電力中央研究所[いっぱんざいだんほうじんでんりょくちゅうおうけんきゅうしょ]

一般財団法人電力中央研究所(いっぱんざいだんほうじんでんりょくちゅうおうけんきゅうしょ)は、電気事業に関連する研究開発を行う研究機関である。電中研電研などと略して呼ばれる場合もある。英語名はCentral Research Institute of Electric Power IndustryCRIEPI(クリエピ)と略される。50年以上にわたる研究活動をもとに、電気事業に関して先駆的な提言を行っている。
== 概略 ==

=== 設立の経緯 ===
1949年(昭和24年)、吉田茂内閣総理大臣GHQ命令により、松永安左エ門を委員長とする電気事業再編成審議会を設置したことが、電力中央研究所の発足の切っ掛けである。戦前は、九州・関西・中部・関東の電力会社を傘下におさめる「電力王」と呼ばれた松永であったが、戦時中は反戦自由主義を貫き、近衛文麿内閣総理大臣からの大政翼賛会への加入や大蔵大臣への就任の要請を断った。更に、戦時下で昭和天皇勅命を頂いているとされていた官僚を「軍部に追随する人間のクズ」と公言し、新聞各紙に謝罪広告を掲載する事態に追い込まれた後も、公然と電力の国家管理政策に反対した。このため、軍部のブラックリストに載り、政財界から離れることになった。吉田茂が、年齢的にも健康不安が危惧された73歳の松永を起用したのは、戦時中の言動から、戦争犯罪と無縁なことや、GHQと思想信条が近いと考えたためである。
松永は、国家管理政策による半官半民の日本発送電分割民営化を提案したものの、当時の通商産業大臣兼大蔵大臣であった池田勇人を除いて、電気事業再編成審議会の全委員、政財界、官僚、学識経験者、国民、マスコミからの反対にあい、日本中が日本発送電の存続を疑わなかった。更に、松永の「電気事業という重大国策を(電気事業再編成審議会の)多数決で決するとは何ごとか」との暴言を切っ掛けに、松永は孤立無援の状態となった。しかし松永はGHQを直接説得し、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令として、9電力体制(当時、電源開発沖縄電力はまだ存在していなかった)への分割民営化を成し遂げた。続いて、これを実行する機関として公益事業委員会を設置したものの、当時の日本は急激に電力需要が増加し、電力不足のため電気料金の大幅な引き上げが続く状況にあった。電気料金の引き上げは国民の反発を招き、松永は「電力の鬼」と呼ばれるようになる。
松永は、電気事業の持続には「電力経済ならびに電力技術の調査、研究を盛んにするため、必要なる機関を新設または拡充し、さらなる専門家の養成も行い、電気事業の健全なる進歩発展が必要不可欠」であると考え、戦時中に国が電気事業に介入した苦い経験を元に、電力経済ならびに電力技術の研究開発を一切の外圧に影響されることなく効率的に実施するための、公益法人シンクタンク兼研究機関の設立を構想した。
そして、75歳となった松永を中心とする、9電力会社と電気事業再編成審議会は、解体した日本発送電の研究部門を元に、1951年(昭和26年)11月7日に、日本最大の研究機能を有する、戦後日本初の本格的な民間シンクタンクとして、電力中央研究所を設立した(なお、発足時の名称は電力技術研究所であったが、現在の社会経済研究所の元となるシンクタンク部門を翌年設置し、現在の名称に改称した)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「電力中央研究所」の詳細全文を読む




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