翻訳と辞書
Words near each other
・ 陳慶ヨウ
・ 陳慶之
・ 陳慶炎
・ 陳慶鏞
・ 陳憲宗
・ 陳振先
・ 陳振孫
・ 陳捷
・ 陳搏
・ 陳摶
陳擬
・ 陳敏
・ 陳数
・ 陳文媛
・ 陳文茜
・ 陳文賓
・ 陳斤彗
・ 陳新甲
・ 陳方安生
・ 陳方慶


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

陳擬 : ウィキペディア日本語版
陳擬[ちん ぎ]
陳擬(ちん ぎ、503年 - 560年)は、南朝陳皇族は公正。
== 経歴 ==
陳霸先の遠い親類にあたる。幼くして父を失って貧しい環境で育ち、実直な性格で記憶力にすぐれていた。陳霸先が交州李賁を討つと、陳擬はこの遠征に従軍した。陳霸先が侯景を討つために軍を北上させ、豫章まで進軍すると、陳擬は羅州刺史となり、胡穎とともに後方の事務を委ねられ、軍糧を前線に供給した。陳霸先が朱方に駐屯すると、陳擬は歩兵校尉・曲阿県令に任じられた。555年紹泰元年)、貞威将軍・義興郡太守に任じられた。556年(紹泰2年)、入朝して知衛尉事をつとめ、員外散騎常侍・明威将軍・雍州刺史に任じられ、監南徐州を兼ねた。 557年永定元年)、陳が建国されると、陳擬は永脩県開国侯に封じられた。まもなく軽車将軍の号を受け、南徐州刺史を兼ねた。この年、通直散騎常侍・中領軍に任じられた。559年(永定3年)、本官のまま再び監南徐州をつとめた。文帝が即位すると、陳擬は丹陽尹に任じられた。事件に連座して官爵を剥奪されたが、無位無官のまま知郡をつとめた。まもなくもとの職に復帰した。560年天嘉元年)、死去した。享年は58。領軍将軍の位を追贈された。は定といった。
子の陳党が後を嗣いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陳擬」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.