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閻宇 : ウィキペディア日本語版
閻宇[えん う]

閻 宇(えん う、生没年不詳)は、中国三国時代蜀漢の武将。文平荊州南郡の人。
== 生涯 ==
馬忠張表の後任として蜀南部の統治を行ない、長年に亘って業績をあげ、職務に熱心であったとされるが、馬忠の風格・功績には及ばなかったとある。その後、右大将軍に遷った。延熙20年(257年)頃、朱績を牽制するよう蜀に求めてきた。このため、閻宇が右大将軍の地位のまま巴東に都督として派遣され、5千の兵で白帝城を守備し、太守羅憲を副将とした。
その一方で閻宇は黄皓と結託し、北伐中の姜維と自分を交代させようと画策した。黄皓以外にも諸葛瞻董厥らは、勝機無き北伐の連続で国内を疲弊させたということを理由に、姜維を召還して益州刺史とし、その軍事権を奪うよう劉禅に上奏すべきと考えていた。蜀の長老の話に拠れば、諸葛瞻は実際に姜維と閻宇を交代させるよう上奏したとされる〔なお史官だった常璩は、『三国志』の著者陳寿が諸葛瞻から恥辱を受けた恨み故に、諸葛瞻を悪く書いたとの蜀の長老の話を紹介しているが(『三国志』蜀書諸葛亮伝注)、これが事実かどうかは不明である。〕。
景耀6年(263年)、魏が侵攻してくると閻宇は召還を受け、羅憲に2千の軍勢を委ねた上で西へ引き返した。その後の消息は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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