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関東連合 : ミニ英和和英辞書
関東連合[かんとうれんごう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関東 : [かんとう]
 (n) Kantou (eastern half of Japan, including Tokyo)
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [むらじ, れん]
 【名詞】 1. party 2. company 3. group 
連合 : [れんごう]
  1. (n,vs) union 2. alliance 
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 

関東連合 : ウィキペディア日本語版
関東連合[かんとうれんごう]

関東連合(かんとうれんごう〔『Eight nabbed for illegal assembly with 'weapons' linked to 2012 slaying of man in Tokyo nightclub 』 2013年1月11日 The Japan Times ― 「」 ― “カントー・レンゴー” ()〕)は、20世紀から21世紀の初頭期にかけて存在した日本暴走族〔『【六本木集団暴行死】いびつな絆(上) 大人になりきれぬ集団「関東連合」+(1/2ページ) 』 2013年1月11日 MSN産経ニュース〕。東京都世田谷区や同杉並区の暴走族の連合体として1973年に結成され、2003年に解散〔。ところが解散後もOB(元メンバー)同士が上下関係に基づく強い絆で結束しているとされ、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその名が登場してきた〔『【六本木暴行死】海老蔵さん事件、朝青龍暴行…「関東連合」周辺でトラブル相次ぐ 』 2012年10月7日 MSN産経ニュース〕。そうした解散後の状況下にあっては、このOBらの結び付きを指して“関東連合”と一般に呼んでいる〔『関東連合と「六本木フラワー事件」3つの謎 』 2012年12月19日 久田将義 WEBRONZA〕。
東京都内の渋谷六本木西麻布、および新宿のいわゆる“地下社会”にて「一定の勢力を誇って」〔おり、「既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団」を意味する“半グレ”の象徴的な存在と言われる〔『【六本木集団暴行死】いびつな絆(中) 時代が生んだモンスター+(1/2ページ) 』 2013年1月11日 MSN産経ニュース〕。その点では「怒羅権」との類似性も指摘される〔『第7回 六本木クラブ撲殺事件と「関東連合幻想」 』 2012年9月14日 久田将義 MSNドニッチ!〕。“愚連隊”と称されることもある〔『いったい「関東連合」とは何者なのか? 』 2011年9月27日 日刊SPA!〕。改正暴力団対策法暴力団排除条例の影響で表立っての活動を失速させた暴力団に代わる形で台頭してきた勢力とする見方もある〔。東京都内のいわゆる“アンダーグラウンド”界隈では1990年代初頭期頃からその名が広く通っていたものの、歌舞伎役者を巻き込んだ2010年の「海老蔵事件」をきっかけとして全国的に知られる存在となったと見られている〔。
溝口敦によれば、2012年に発生した「六本木クラブ襲撃事件」の結果、翌2013年までに「解体の危機」と言える状況に陥った〔『バクロ本を出された関東連合は解体危機 』 2013年7月8日 溝口敦〕。瓜田純士によれば、「関東連合」を名乗って活動している者は2014年中盤時点でほぼ皆無、勢力はほぼ消失しており、事実上、「関東連合」は壊滅状態となっている〔『遺書 』 : “関東連は、終わった。” 2014年 瓜田純士 太田出版 ISBN 978-4-7783-1406-4〕。
==来歴==
久田将義の概観によれば、暴走族ブラックエンペラー」および「マッドスペシャル」を中核として1970年代に結成されたのが本来の「関東連合」で、当初は会長を置いたうえで幹部会議を開くなどの活動もあったものの、1980年代の中頃から1990年代にかけて有名無実化、ところが、チーマーの勃興で暴走族自体が衰退を迎えていた時期にありながら、世田谷上町豪徳寺付近を拠点としていたチーム「小次郎」が「関東連合」の復興を企図〔『【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】東京不良少年史1990年代初頭~「関東連合」の復活と台頭 』 2013年2月15日 久田将義 日刊サイゾー〕。1980年代後半頃のことで、“関東連合上町小次郎”を名乗り始めた同チームの動きに呼応し、同じく従来からの「関東連合」所属チームであった「鬼面党」、「メデューサ」、ならびに「マッドスペシャル」などが同様に“関東連合”を名乗り始める〔『【『ニコ生ナックルズマガジン』出張版】「六本木フラワー事件」8人起訴の今後 』 2013年3月4日 久田将義 日刊サイゾー〕。
1990年代、チーマーとの暴力的抗争を経て渋谷不良少年界を制圧した関東連合は、やがて六本木へと進出、クラブを影響下に置いてゆく〔。2000年代にかけてチーマーやイベントサークルを暴力を背景に牛耳ったうえで彼らのいわば“後ろ盾”となり、それらを大企業とのビジネスに結びつけるなどで勢力を伸張、時のオレオレ詐欺の流行がその勢力拡大に拍車を掛ける〔『第13回 関東連合はなぜ巨大化していったのか? 』 2013年3月8日 久田将義 MSNドニッチ!〕。夜の街を舞台にいわゆる“ヒルズ族”などの実業家らとの交友関係をも築き上げ、凶暴性のみならず人脈の面でも他のグループと一線を画す存在になっていった〔『【六本木集団暴行死】いびつな絆(中) 時代が生んだモンスター+(2/2ページ) 』 2013年1月11日 MSN産経ニュース〕。
ノンフィクションライターの小野登志郎は、「関東連合OBグループを中心とした“半グレ”集団」が六本木や新宿でそれなりの勢力を築いていたこと、および、元関東連合メンバーによる「俺らはこれからどんどん大きくなっていきますよ。俺らの時代が来る、ということです。」との発言を2004年の段階で確認していた。そして小野によれば「まさにその通りになった」〔『「半グレ」集団が消え去ることはあり得ない 』 2013年2月22日 小野登志郎 WEBRONZA〕。
海老蔵事件」以外で関係者が関与した主な事件として、都内品川区が現場となった現役メンバーによる傷害致死事件(1997年)、同大田区が現場となった石元太一による傷害致死事件(2000年)、同練馬区が現場となった現役メンバーによる殺人事件(2000年)、同新宿区が現場となったOBグループ幹部の殺害事件(2008年)、同港区が現場となった横綱力士・朝青龍による傷害事件(2010年)、ならびにOBによる傷害事件(2011年)、指定暴力団住吉会系幹部を担うOBによる山口組系元幹部らへの襲撃傷害事件(2011年)、および、OBグループと目される集団による殺人事件(2012年)などが挙げられてきた〔『いびつな絆(下) ヤキ入れ恐怖心植え付ける “鉄”の上下関係+(1/2ページ) 』 2013年1月12日 MSN産経ニュース〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「関東連合」の詳細全文を読む




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