翻訳と辞書
Words near each other
・ 鎌倉シネマワールド
・ 鎌倉シャツ
・ 鎌倉スーパーステーション
・ 鎌倉テレビ中継局
・ 鎌倉ハム
・ 鎌倉ハム (名古屋市)
・ 鎌倉パスタ
・ 鎌倉ペンション物語
・ 鎌倉・江ノ島フリーきっぷ
・ 鎌倉・藤沢 - 京都・なんば・堺線
鎌倉七口
・ 鎌倉三代記
・ 鎌倉三十三箇所
・ 鎌倉三十三観音霊場
・ 鎌倉中学校
・ 鎌倉丸
・ 鎌倉丼
・ 鎌倉事件
・ 鎌倉五名水
・ 鎌倉五山


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

鎌倉七口 : ミニ英和和英辞書
鎌倉七口[かまくらななくち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かま]
 【名詞】 1. (1) sickle 2. (2) part of a fish around the gills 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [しち]
  1. (num) seven 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

鎌倉七口 : ウィキペディア日本語版
鎌倉七口[かまくらななくち]

鎌倉七口(かまくらななくち)とは三方を山に囲まれた鎌倉への陸路の入口を指す名数。鎌倉時代には「七口」の呼び名は無く京都の「七口」をもじったもので「鎌倉十橋」「鎌倉十井」などと並ぶものである。一般に言われるのは以下の7つである〔「極楽寺坂切通」以外は国史跡の指定名称で表記。〕。
* 極楽寺坂切通()
* 大仏切通()
* 化粧坂()
* 亀ヶ谷坂()
* 巨福呂坂()
* 朝夷奈(朝比奈)切通()
* 名越切通()
鎌倉七口の史料上の初見は、江戸時代初期の1642年1644年頃に書かれたと思われる『玉舟和尚鎌倉記』である。その後、1659年の『金兼藁』、1674年水戸光圀鎌倉日記』、また、水戸光圀が命じて編纂させた1685年の『新編鎌倉志』にも相次いで言及を見出すことが出来る。江戸時代末では、1829年の『鎌倉攬勝考』、1841年の『新編相模風土記稿』に同じような記述がある。
『玉舟和尚鎌倉記』では「大仏坂」「ケワイ坂」「亀ヶ井坂」「小袋坂」「極楽寺坂」「峠坂」「名越坂」とあり、『徳川光圀鎌倉日記』になってケワイ坂を「化粧坂」、亀ヶ井坂を「亀ヶ谷坂」、小袋坂を「巨福呂坂」、峠坂を「朝比奈切通」、大仏坂を「大仏切通」、極楽寺坂が「極楽寺切通」、名越坂が「名越切通」と出てくる。
鎌倉時代の公文書とも言える『吾妻鏡』にその名が見られるのは「ケワイ坂(気和飛坂)」「六浦道」「名越坂」、そして「山内道路」として出てくるのが亀ヶ谷坂ないし巨福呂坂であり、あとは現在の七口には数えられない「小坪坂」(「小壷坂」とも)および「稲村路」である。「大仏坂」は鎌倉時代には全く記録が無く、極楽寺坂は極楽寺の寺伝に開山の忍性が開いたとある。
現状の鎌倉七口は、巨福呂坂が新道となり痕跡だけ残して消滅。極楽寺坂切通も普通の車道となり、明治時代以前の趣を残しているのは大仏切通、朝夷奈切通、名越切通の3か所と多少趣を残しているのが化粧坂と亀ヶ谷坂である。
1996年文化庁選定「歴史の道百選」に、「鎌倉街道-七口切通」として選出された。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鎌倉七口」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.