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野村千春 : ミニ英和和英辞書
野村千春[のむら ちはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

野村千春 : ウィキペディア日本語版
野村千春[のむら ちはる]
野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者歌人巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。
== 経歴 ==
野村千春は1908年(明治41年)諏訪郡平野村(現:岡谷市)の間下(ました)地区の旧家、武居家(諏訪大社下社の武居祝一族であり、江戸末期まで地域一帯の神職を務め、明治以降は豪農であった一族。同族に武居三吉武居俊樹がいる)の次女として生まれた。三女一男の家であった〔教育学者の周郷博は妹の夫、歌人・俳人の堀田季何は姉の孫〕。
平野高等女学校(現:長野県岡谷東高等学校)時代、同校の教師だった諏訪郡原村出身の洋画家(のちに彫刻家)清水多嘉示に画才を認められて画家を志した。同校を卒業後、父の反対を押し切って上京、キリスト教伝道者の姉・菊枝の下に身を寄せる。〔野村千春と日野 〕1929年、洋画家中川一政に内弟子として師事し、春陽会研究所に学ぶ。その後、同郷の武井直也から彫刻を学び、妹・百代とともに武井家に留守番として住まわせてもらう。1932年、巽聖歌と結婚。
1931年(昭和6年)春陽会第9回展に初入選、1950年(昭和25年)には会友賞受賞し、1952年(昭和27年)には春陽会会員に推挙された。女流画家協会には創立会員として参加し、1952年(昭和27年)及び1954年(昭和29年)には大賞にあたる女流画家協会賞を受賞した。1963年(昭和38年)以降、長野県美術展(県展)の審査員を長年に渡って務めた。
2000年(平成12年)91歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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