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采女司 : ミニ英和和英辞書
采女司[つかさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter

采女司 ( リダイレクト:采女 ) : ウィキペディア日本語版
采女[うねめ]

采女(うねめ)とは、日本朝廷において、天皇皇后に近侍し、食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官のこと。平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの官職となった。
== 概略 ==
発祥ははっきりしないが、『日本書紀』によると、既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があった。一種の人質であり、豪族が服属したことを示したものと考える説が有力である。しかし、延喜17年(917年)の太政官符に、出雲国造が「神宮采女」と称して妾を蓄えることを禁止しつつも神道祭祀に必要な場合には1名に限り認める内容のものがあることを根拠に、地方の祭祀を天皇家が吸収統合していく過程で成立した制度で、祭祀においては妾と同一視され後述のとおり子供が出来る行為を伴ったと推測した説〔『古代豪族』青木和夫〕など、神職である巫女との関連性を采女の起源に求める説も存在する。
主に天皇の食事の際の配膳が主な業務とされているが、天皇の側に仕える事や諸国から容姿に優れた者が献上されていたため、妻妾としての役割を果たす事も多く、その子供を産む者もいたが、当時は母親の身分も重視する時代であったため、地方豪族である郡司層出身の采女出生の子供は中央豪族や皇族出生の子供に比べて低い立場に置かれることがほとんどであった。
大宝律令の後宮職員令によって制度化される。その内容は以下の通りである。
: 中務省が発する牒により、諸国に定員を割り振って募集されるが、名目は「献上」という形を取った。
: 募集条件は
#13歳以上30歳以下であること。(采女献上が一旦廃止された後に復活した嵯峨天皇の代の規定では16歳以上20歳以下)
#出身は郡少領以上の姉妹か娘であること。
#容姿を厳選すること。
: 宮内省の配下にある「采女司」が彼女たちの人事等を管理しているが、実際に所属するのは後宮十二司のうち「水司」に6名、「膳司(かしわでのつかさ)」に60名となっている。定員は計66名であるが、大宝律令の軍防令によると全国の郡の三分の一から采女を募集することとなっており、そこから推測される采女の貢進数はそれを大きく上回っている。この事から、女嬬の代わりとして他の部署に配置される者や職制の定員外にいる者〔『郡司及び采女制度の研究』礒貝正義〕、あるいは皇子女付きの者等も存在すると見られている〔『奈良の都』青木和夫〕。また飯高諸高のように、より上位の役職(典侍掌侍掌膳典掃)に昇格した者もあり、これらの例も上記の采女の定員外となる。
こうした律令制に組み込まれた時代の采女は、天皇の妻妾という性格が薄れて後宮での下級職員としての性格が強くなっていく。
平城天皇の改革により采女献上の制度は廃止されたが、それに伴って「采女司」も廃止になり、大蔵省「縫部司」と共に「縫殿寮」に統合された。しかし嵯峨天皇の時代に采女献上が復活し「采女司」も復活した。
延喜式では采女の定員は削減され、「膳司(かしわでのつかさ)」に41名、「掃司(かにもりのつかさ)」に6名となった。また以後は采女は中央貴族の子女から選ばれる事が多くなり、形骸化してゆく事になった。江戸時代以降は天皇即位式の時のみ女官から選抜されるようになった。この時には、女官の正装たる十二単ではなく丈の短い特殊な采女装束を着用した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「采女」の詳細全文を読む




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