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遍路道 : ミニ英和和英辞書
遍路道[へんろみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

遍路 : [へんろ]
 (n) pilgrim
: [ろ]
 【名詞】 1. road 2. street 3. path

遍路道 : ウィキペディア日本語版
遍路道[へんろみち]

遍路道(へんろみち)とは、四国霊場において霊場間を繋ぎ、巡礼者(「お遍路」)が歩く道を言う。
四国八十八箇所札所間だけではなく、番外霊場四国別格二十霊場を含む)や新四国曼荼羅霊場四国三十三観音霊場へつながる道も含まれる。狭義には「歩き」でしか通れない道を呼ぶことがある。また、小豆島霊場の歩行者のみが通る巡礼道、篠栗霊場の巡礼道も遍路道という。
一般的には車道として整備された道も含むが、車やオートバイ・自転車などを使った遍路が狭義の遍路道を迂回するために通行する道路で、歩き遍路が使わない道は遍路道とは呼ばない。
== 歴史 ==
奈良時代には修験道の修行者や、と呼ばれる民間宗教者が四国の辺地を訪れて修行をしていた。これが四国遍路の祖形だという説があるが、この人々が歩いた道が現在の遍路道につながるかどうかは不明である。四国霊場を開いたとされる空海(弘法大師)の入定以後、その修行の跡を辿って平安時代末頃から真言宗の僧が四国を回るようになる。当所は四国各地の寺院や神社、弘法大師の霊跡などをそれぞれが独自に巡っていたため道筋は一定ではなかったであろうが、僧の修行のための四国巡礼が確立されるに従って通る道がある程度固定化し、現在のように四国霊場を結ぶ経路ができていったと考えられる。
江戸時代になって社会が安定し、西国坂東と共に四国霊場にも庶民による巡礼が一般化しはじめると、遍路のための案内書が出版されるようになった。その中に20回以上四国霊場を巡ったとされる僧真念貞享4年(1687年)に大坂で刊行した「四国邊路道指南」(しこくへんろみちしるべ)がある。この「四国邊路道指南」がそれまで一定していなかった八十八箇寺を初めて特定し、札所番号をつけたといわれている(真念自身は八十八番の次第は、何時、誰が定めたのか定かではないと記述している)。真念は四国八十八箇所を巡るのに合理的な経路を示し、自らが建てた道標石(しるしいし)を紹介して遍路への便宜を図っている。記事中に紹介された道標石は30箇所程度しかないが、総数では二百余か所に建てられたという。この道標石は遍路道の固定化を進めたものと考えられる。西国や坂東の札所が必ずしも札所番号の順番に並んでおらず、最短距離で巡礼するには順不同にならざるをえないのに対して、四国霊場では札所の番号順に進むことで一部を除いて一本の線となり、四国を環状に結ぶようになっているのは真念によって札所が計画的に決められたからであろう(明確な根拠は無い)。
遍路道が固定化したといっても、新たに近道やより歩きやすい道ができると人々はそちらを歩くようになる。明治以降はトンネルや橋梁の建設などによる道路の付け替えも進み、遍路道も大きく変遷していった。現在では一部の山岳寺院への登山道などを除き、多くが国道や地方道に編入され舗装道路となっている。ただし、近年になって歩き遍路の愛好者が増えたことで、廃れていた古い遍路道を再整備する動きが興り、「へんろみち保存協力会」やロータリークラブ等の団体や地元の有志、地方公共団体などにより、峠道などでいくつかの遍路道が復元・整備されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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