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近世山陽道 : ミニ英和和英辞書
近世山陽道[きんせい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

近世 : [きんせい]
 【名詞】 1. recent times 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山陽 : [さんよう]
 【名詞】 1. south side of a mountain 2. Sanyo district 
: [よう]
  1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1

近世山陽道 ( リダイレクト:西国街道 ) : ウィキペディア日本語版
西国街道[さいごくかいどう]

西国街道(さいごくかいどう、さいこくかいどう、せいごくかいどう、せいこくかいどう)とは、江戸時代における街道のひとつであり、近世山陽道の別名である。また、西国路(さいごくじ、さいこくじ、せいごくじ、せいこくじ)、中国街道(ちゅうごくかいどう)、中国路(ちゅうごくじ)〔大坂〜西宮を結ぶ街道(浜街道)も中国街道・中国路とも呼ばれる。〕、山陽路(さんようじ)などとも呼ばれる〔松村明監修『大辞泉』小学館(1998年)〕。
京都から下関までの経路で、律令時代に整備された大路と一致する。
また、狭義の西国街道として同街道の内、西宮〜下関まで区間、あるいは同じく京〜西宮までの区間を指すこともある。
== 概要 ==
江戸時代には、いわゆる「街道」が整備されることになった。この街道においては、藩領内であっても江戸幕府の道中奉行が支配するなど、再び中央と地方の連絡が国家的に整備されたとも言える。街道には宿場が指定され、人馬の継立を行う問屋場や、諸大名の宿舎としての本陣脇本陣、そして武士や一般庶民などの宿舎であった旅籠などが整備された。
江戸時代の道路としての山陽道は、京都の羅城門東寺口)から下関の赤間関(あかまがせき)に 至る道として再整備されたものである。
幕府は、江戸を中心とした五街道に重点を置く街道整備政策を行ったが、その延長線上に山陽道は脇街道に位置付けられることとなった。この山陽道を当時は西国街道(または西国往還)と呼ぶこともあり、道幅二間半(約4.5m)と定められ整備された。下関から関門海峡を越えて小倉へと至ることで、江戸と長崎を結ぶ幹線道路の一角でもあった。これらのことは、寛永10年(1633年)の幕府巡視使の巡視を契機としたが、寛永12年(1635年)年参勤交代制の確立のためにも重要な街道であった。
なお呼称には多少の重複混同が生じているが、安土桃山時代頃までは前述の京都~西宮間は山崎街道唐街道山崎通り)、そして西宮~下関間を狭義での西国街道大坂尼崎~西宮間は中国街道〔西宮〜下関間、もしくは山陽道全体を中国街道と呼称することもある。〕などと呼称する場合が多いようである。
長州藩は、整備に力を注いだ。慶安2年(1649年)の長州藩が幕府へ提出した絵図(正保国絵図)には、山陽道に30カ所の馬継ぎを設置したことが記されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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