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超重戦車マウス : ミニ英和和英辞書
超重戦車マウス[ちょうじゅうせんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょう]
  1. (n,n-suf,pref) super- 2. ultra- 3. hyper- 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
重戦車 : [じゅうせんしゃ]
 (n) heavy tank
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦車 : [せんしゃ]
 【名詞】 1. tank (military vehicle) 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

超重戦車マウス ( リダイレクト:マウス (戦車) ) : ウィキペディア日本語版
マウス (戦車)[くるま]

VIII号戦車 マウス(Panzerkampfwagen VIII (Sd.Kfz 205) Maus)は、第二次世界大戦中にドイツで試作された超重戦車である。「マウス」はドイツ語ネズミを意味する〔シュピールベルガー『特殊戦闘車両』34頁〕。
== 開発への経緯 ==
マウスの開発にはアドルフ・ヒトラーの戦車に対する思想と強い関与が存在している。1941年独ソ戦が開始され、ソ連軍T-34中戦車、及びKV-1KV-2重戦車はドイツ戦車にとって大きな脅威となった。さらに、これらを凌ぐソ連軍の新型戦車出現の可能性を危惧したヒトラーは、1941年11月29日の総統官邸における会議でフェルディナント・ポルシェ博士に超重戦車開発の可能性について打診した〔。ヒトラーは1943年春にはソ連軍が超重戦車を戦場へ投入すると確信していたため、彼は主砲も装甲も当時の技術で最高の戦車を作ることを命じた〔。
1942年3月クルップ社に100t級の重戦車の開発と試作が命じられ、またポルシェ社にも100t級戦車の開発契約が結ばれた。こうした二重開発もまたヒトラーの意図するものであり、両社は同一の開発計画に対して激しい競争を行った。このような開発方針は軍需大臣アルベルト・シュペーアにより禁止が提言されたものの、ヒトラーはこれに依然執着していた。1942年4月の段階でヒトラーの重戦車に対する構想は、車重70tを戦車の限界とする従来の技術的な推測を無視し、100tを超えて120t級の戦車が必要であると考えるようになっていた〔。
クルップ社は15cm榴弾砲を戦車砲化した主砲と遠隔操作式の機銃を備え、従来ドイツ戦車に搭載されているガソリンエンジンに代わりディーゼルエンジンを搭載した、新機軸を導入しつつも総体としては保守的な重戦車を構想した。一方ポルシェ社はポルシェ博士自ら手がけた新機軸満載の設計案である「タイプ205 (Type 205)」の図面を、1942年6月23日、クルップ社に先駆けてヒトラーに提出した。これは砲塔に15cm戦車砲と7.5cm戦車砲を同軸装備し、ポルシェ博士が過去に設計したVK4501(P)いわゆる“ポルシェティーガー”、及びその駆逐戦車型であるフェルディナント/エレファント駆逐戦車と同様、内燃機関と電動モーターのハイブリッド式駆動装置を備えた。また懸架装置には縦置き型トーションバーサスペンションが選定された。ヒトラーはこれに高い評価を与え、いくつか設計案に変更を加えた。下部車体の装甲を100mmとすること、主砲を37口径15cm砲もしくは70口径10.5cm砲とすることである〔。この上で彼は事実上の内定を与えた。
ポルシェ博士はヒトラーに対して翌年の3月12日までにタイプ205の試作車もしくはモックアップを完成させると約束し、ポルシェ社は具体的な設計作業に入った〔シュピールベルガー『特殊戦闘車両』35頁〕。ポルシェ社の「モイスヒェン(Mäuschen、子ネズミの意)」原案では駆動方式はディーゼルエンジンを用いた「ディーゼル・エレクトリック」となる予定であったが、ポルシェ社よりエンジンの選定を打診されたダイムラー・ベンツ社が要求を満たすディーゼルエンジンを用意できないために、ガソリンエンジンを用いた「ガス・エレクトリック」に変更された。
この後の1942年12月、ポルシェとクルップ社のミュラー教授は「モイスヒェン」の生産についての報告を行っている。ここでは1943年夏に試作車輌の完成が目指され、兵装として15cm砲、12.7cm艦砲、12.8cm高射砲、長砲身12.8cm砲等が計画されていた〔。
1943年1月、クルップ社とポルシェ社の「モイスヒェン」案はヒトラーにより比較検討された。彼はタイプ205に高い評価を与えていたため、主砲に12.8cm砲と7.5cm砲を同軸装備すること、という修正が命じられた上、ポルシェ案はクルップ案を退けて1943年1月に製作が承認された。このときの月産予定数は10輌とされ、完成は1943年末とされた〔。ヒトラーの見解に依れば、兵器の優位性を保てる期間は一年が限度であり、1943年にはティーガーとパンターを、1944年にはマウスとティーガーIIを投入することが要求された〔。ポルシェ社の戦車に採用される電気駆動方式には、戦略資源でありドイツでは供給量が不足しているを大量に使うため、軍需省からは反対の声が上がった。
開発の初期、この超重戦車には「マンムート(Mammut、マンモスの意)」の呼称が与えられた。これは後に変更され「モイスヒェン」の名称が付された〔シュピールベルガー『特殊戦闘車両』35頁〕。ドイツ戦車史上最大の超重戦車案であるにも関わらずこのような名称が付けられた理由は、敢えて逆の印象を与える名称を付けることにより情報の秘匿を図るためであるとされている。ポルシェ案は同年2月13日に「マウス」の制式呼称で正式に採用された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マウス (戦車)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Panzer VIII Maus 」があります。




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