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資定王 ( リダイレクト:源師房 ) : ウィキペディア日本語版
源師房[みなもと の もろふさ]

源 師房(みなもと の もろふさ、寛弘5年(1008年) - 承保4年2月17日1077年3月14日))は、平安時代中期の公卿歌人村上源氏中院流の祖。村上天皇の皇子具平親王の子。従一位右大臣土御門右大臣と号した。幼名は万寿宮。
== 経歴 ==
はじめ資定王(すけさだおう)と称すが、父・具平親王を早くに亡くし、姉・隆姫女王の夫である藤原頼通猶子となった(ただし、当時の実態とすれば養子とほぼ同様の意味に解する事ができる)。1020年寛仁4年)正月に従四位下に叙せられ、12月26日に元服し、源姓を賜与されて臣籍降下、師房と名を改めた。「師房」の名は頼通が授けたものであるという〔頼通は自らが選んだこの名を気に入り、後に生まれた自分の2子に「師房」の一字を用いて「通房」「師実」と命名したという。なお、通房・師実はともに師房の娘を妻に迎えている。〕。1024年万寿元年)藤原道長の五女・尊子(頼通の異母妹)を妻に娶って〔『小右記』万寿元年3月27日条〕藤原氏と密接な関係を築く〔藤原道長の娘の内、人臣の妻となったのは尊子のみ。〕。同年従三位に叙せられ公卿に列し、以後も昇進を重ねる。1064年康平7年)内大臣1069年延久元年)右大臣となって村上源氏の政界進出の基を築いた。1077年承暦元年)2月17日に太政大臣に任ずべき兼宣旨が下されるが、同日に出家し、薨去。
高い学才の一方で、漢詩和歌にも秀で『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集にも10首入集している。著書に『叙位除目抄』『土右記』などがあり、彼とその子孫の中院流による有職故実の流派は「土御門流」と称せられた。また、その才能を愛した藤原道長は「頼通に男子が生まれなければ、師房に摂関家を継がせてもいい」と言ったといわれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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