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豊臣国松 : ミニ英和和英辞書
豊臣国松[とよとみ くにまつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 

豊臣国松 : ウィキペディア日本語版
豊臣国松[とよとみ くにまつ]

豊臣 国松(とよとみ くにまつ、慶長13年(1608年) - 慶長20年5月23日1615年6月19日))は、江戸時代前期の人物で、豊臣秀頼庶子。母は秀頼の側室の伊茶〔伊勢出身の女中某や、小田原北条家の家臣成田氏の成田五兵衛の娘との説があるが、最近は渡辺五兵衛の娘説が有力である。〕。妹に天秀尼がいるが、他にも庶弟がいたという伝承・噂が江戸時代からあった。
== 生涯 ==
生後すぐに若狭京極家(秀頼の伯母・常高院の嫁ぎ先)に預けられた後、乳母の兄である若狭の砥石屋弥左衛門の養子となった。これは秀頼の正室である千姫をはばかったものと見られている。結局、嫡子は生まれていない。
大坂冬の陣が起こると、秀頼の隠し子との詮議を受けぬよう、常高院と共に大坂城に入城。その時、生まれて初めて父秀頼と面会した。その後、和議が整ったのでそのまま滞在。
翌年の大坂夏の陣のおり、国松は秀頼と5月8日に盃を交わし、田中六郎左衛門(京極家侍、傅役、乳母の夫)・乳母と共に城を落ち延びた。
しかし、徳川方の捜索により〔当時の追っ手には国松の顔を知る者がなかったため、先に国松の乳兄弟を捕らえた。後から捕らえられた少年達の内、国松と乳兄弟が抱き合って喜び合ったのを見て、国松の真贋を確認したと言われる。〕国松は京都所司代板倉勝重のもとに連行され、5月23日、市中車引き回しの後、六条河原で田中六郎左衛門、長宗我部盛親と共に斬首。享年8。田中六郎左衛門は京極家の者として死罪を免れ得たものの、自ら殉死を志願して同時に処刑されたという。
戒名は漏世院雲山智西大童子。墓所は京都市中京区誓願寺にあったが、1911年東山区豊国廟に移されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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