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豊嶌雅男 : ウィキペディア日本語版
豊嶌雅男[とよしま まさお]

豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1945年3月10日)は、大阪府大阪市出身の元大相撲力士。本名は西村 雅男(にしむら まさお)。
== 来歴 ==
興國商業学校時代は柔道で鳴らし、1937年5月場所に出羽海部屋から初土俵を踏む。1941年5月場所で新入幕を果たすと、この場所では11勝4敗の好成績を挙げる。1942年1月場所には双葉山定次から金星を獲得して10勝5敗、その後も勝ち越しを続け、関脇に昇進した。安藝ノ海節男に続く出羽海部屋一門の有望株として期待されたほか、突き押し一途の取り口が戦時中の社会情勢とも合致したため、人気力士として名が挙がるほどであった。このように双葉山定次には2勝5敗と善戦したが、羽黒山政司には6連敗と全く勝てず、佐賀ノ花勝巳にも1勝6敗と苦戦と波のある成績が原因で関脇止まりであった。それでも彼が後述の通り25歳の若さで東京大空襲の犠牲にならなければ将来は横綱にもなれただろうと、先輩の安藝ノ海は後に語っていた。
1944年11月場所には再び双葉山定次に勝って2度目の金星を挙げたが、これが最後の華となった。翌年、彼は不幸にも1945年3月10日東京大空襲で被災し、現在の隅田川沿いの東武スカイツリーラインの鉄橋下で、焼けた両腕で岸辺に掴まったままの姿で焼死体となって発見された。。なお、この空襲では枩浦潟達也岩友、出羽海部屋所属の床山2名も大相撲関係の犠牲者となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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