翻訳と辞書
Words near each other
・ 許慈
・ 許慎
・ 許慧欣
・ 許憲
・ 許懐欣
・ 許懷欣
・ 許振イ
・ 許振禕
・ 許攸
・ 許政
許敬宗
・ 許文雄
・ 許文龍
・ 許斌シュ
・ 許斌姝
・ 許斐剛
・ 許斐山
・ 許斐氏
・ 許斐氏利
・ 許昊


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

許敬宗 : ミニ英和和英辞書
許敬宗[きょ けいそう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きょ, もと]
  1. (adv) under (esp. influence or guidance) 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

許敬宗 : ウィキペディア日本語版
許敬宗[きょ けいそう]
許 敬宗(きょ けいそう、592年 - 672年)は、中国政治家文学者歴史家延族杭州新城県(現・浙江省富陽市の西南)の出身。『高祖実録』、『文館詞林』、『西域図志』などの編纂に参与した。
== 生涯 ==
の礼部侍郎を勤めた許善心の子。彼は若くして文章に優れた。隋の大業年間に秀才に挙げられ、淮陽郡司法書佐に任ぜられ、また通事舎人をつとめた。
父が宇文化及のために惨殺されると、李密の下で元帥府記室となった。唐の武徳初年に、唐に帰順して漣州別駕に任ぜられた。秦王李世民(太宗)に召されて、文学館学士となり、秦王府十八学士のひとりに数えられた。貞観年間に、著作郎をはじめ、中書舎人、給事中、黄門侍郎、太子右庶子などを歴任した。李治(高宗)の代になると、中書令に昇進した。やがて李義府と共に、武則天(武氏)を擁立して、権力を振るった。さらに亡き太宗の腹心であった長孫無忌褚遂良を流罪にして死を賜るように高宗に積極的に進言したのも、武則天の意向を受けた許敬宗だったようである。
672年、81年の生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「許敬宗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.