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西村幸祐 : ミニ英和和英辞書
西村幸祐[にしむら こうゆう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 

西村幸祐 : ウィキペディア日本語版
西村幸祐[にしむら こうゆう]

西村 幸祐(にしむら こうゆう、1952年(昭和27年) - )は、日本評論家、批評家、作家〔、ジャーナリストF1サッカー等のスポーツを中心とした作家、ジャーナリストとしての活動を開始し、2002年の日韓ワールドカップの取材以降は拉致問題歴史問題などに関する執筆活動を行う〔。2007年12月には雑誌『撃論ムック』、2011年4月、雑誌『JAPANISM』をそれぞれ創刊。戦略情報研究所客員研究員講演者・執筆者プロフィール 〕。一般社団法人アジア自由民主連帯協議会副会長〔役員紹介 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会 〕。東京都出身〔。
== 来歴 ==

慶應義塾大学文学部哲学科中退。大学在学中から第6次『三田文学』の編集に携わる〔。西尾幹二によれば、当時学生だった西村が企画した「三田文学」の三島由紀夫の特集「三島死後5年と戦後30年」で、西尾と桶谷秀昭の対談を企画・実現している〔西尾幹二著『三島由紀夫の死と私』 〕。その後、『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)、編集、レコーディング・ディレクター、コピーライターを経て、1980年代後半からスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとして活動を開始〔。1990年代前半はほぼF1をテーマとした取材、執筆活動に専念していたが、1993年(平成5年)のワールドカップ予選からサッカー取材を開始。1994年(平成6年)、取材対象をサッカーへ移行した。
1996年(平成8年)、日本初のサッカーオンラインマガジン『2002JAPAN』(後の『2002CLUB』)の編集長。2000年(平成12年)にはサッカー雑誌『サッカー・ウィナーズ』(新潮社)をプロデュース。2002年(平成14年)の日韓ワールドカップ北朝鮮による日本人拉致問題を契機に、歴史認識問題やメディア批判、安全保障問題などに執筆分野を変更〔。『諸君!』や『正論』、『WiLL』、『Voice』など論壇誌や、『SAPIO』、『リベラルタイム』など時事雑誌への執筆活動を開始。主に"特定アジア"における反日や、朝日新聞など大手メディアへの批判も展開。このほか、三島由紀夫の評伝や『週刊少年ジャンプ』でF1を題材にした漫画原作、ゴルフをテーマにした海外ミステリー翻訳などを手掛けていた。
サブカル音楽文学)からスポーツF1サッカー)、政治北朝鮮による日本人拉致問題反日人権擁護法案など)・マスコミインターネット言論(2ちゃんねるブログ)・チベット問題ウイグル問題と幅広いジャンルを扱い、2ちゃんねるやブロガーの活動を肯定的に評価している。また、Chinaのことをシナと呼び、渡辺昇一呉智英高山正之のように「支那」あるいは「シナ」と表記しているが、固有名詞の「中国共産党」を使用する場合はChina中国と表記している。2006年(平成18年)からはオークラ出版#撃論ムック」シリーズ(2010年12月休刊)を創刊して責任編集者となる。2007年(平成19年)8月より、文芸言論誌『表現者』の編集委員を務める。
2008年(平成20年)7月には「チベット自由人権日本100人委員会」のメンバーとなり、7月30日に開催された発足記念シンポジウムに参加した。2009年(平成21年)7月13日、海外特派員協会で、ウイグル人のイリハム・マハムティ、チベット人のペマ・ギャルポ、モンゴル人のリーガー・スチェント、元中国人で日本に帰化した石平と共に記者会見を行い、「ウイグル自由人権アジア委員会」の名で「中国によるウイグル弾圧への緊急声明」を発表。2010年(平成22年)2月28日、すぎやまこういち三橋貴明と共に、「日本人の日本人による日本人のためのメディア」として、ブログを集積し、既存メディア監視を主な目的とする情報サイト「メディア・パトロール・ジャパン」を開設し、編集長に就任した。その後、休止している。
2011年(平成23年)には『ジャパニズム』の創刊に関わり、第3号まで責任編集者を務めた。同年11月26日、「一般社団法人アジア自由民主連帯協議会」副会長に就任。2012年(平成24年)7月16日、同日から翌17日にかけて陸上自衛隊第1師団が東京直下型地震を想定した訓練を実施する際、東京都の特別区23区のうち16区が自衛隊による区施設等の利用を拒否したとのツイートをおこなう。7月18日には日本文化チャンネル桜『ニュースの読み方』にて、自身の「スクープ」として発表した。産経新聞が7月23日付で報じたほぼ同内容(協力を拒否したのは11区としている)の記事については、自身のスクープを後追い報道したものであると述べた〔。名指しされた11区は産経新聞に対し「報道内容は事実無根」との抗議をおこない、7月25日に産経新聞は記事内容が誤報であったことを認めて謝罪・訂正をおこなった〔。西村本人は、誤報でないという立場を取っている。
2013年(平成25年)11月19日、第185回国会衆議院の国家安全保障に関する特別委員会に参考人として招致され、「特定秘密の保護に関する法律案(185国会閣9)・行政機関の保有する情報の公開に関する法律等の一部を改正する法律案(185国会衆1­)」(通称・特定秘密保護法案)について意見陳述を行った〔第185回国会 国家安全保障に関する特別委員会 第15号(平成25年11月19日(火曜日)) 〕。西村を参考人の意見陳述で招致したのは日本維新の会であった。評論家の石平は西村との共著『「反日」の敗北』の中で、「特定秘密保護法をめぐる攻防が、それこそ戦後体制を守ろうとする左翼のマスコミが総力を結集してきたことをあらわしています。例えば、朝日新聞は掻き集めることのできるすべてを総動員して安倍政権と戦ったわけです」〔『「反日」の敗北』 p.132〕と述べ、西村は「朝日新聞の誤算は昔と同じやり方が通用しなかったことです」」〔『「反日」の敗北』 p.133〕と応じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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