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西川貴教のオールナイトニッポン : ミニ英和和英辞書
西川貴教のオールナイトニッポン[にしかわたかのりのおーるないとにっぽん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

西川貴教のオールナイトニッポン : ウィキペディア日本語版
西川貴教のオールナイトニッポン[にしかわたかのりのおーるないとにっぽん]

西川貴教のオールナイトニッポン(にしかわたかのりのオールナイトニッポン)はニッポン放送制作、NRN系列の深夜放送オールナイトニッポン西川貴教パーソナリティを担当したラジオ番組
== 概要 ==
;略史(レギュラー放送時代)
下記にレギュラー放送中の略史を記載する。累計放送期間は8年9ヶ月に及び、これは「福山雅治のオールナイトニッポン」(20年11ヶ月、中断期間は含まない)、「ナインティナインのオールナイトニッポン」(20年6ヶ月〔コンビとしての出演期間。メンバーの岡村隆史は現在も出演中である。〕)、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(11年9ヶ月)、「松任谷由実のオールナイトニッポン」(11年)、「ビートたけしのオールナイトニッポン」(10年)に次ぐ長さである。単発放送では必ずこの事を冒頭で説明するが、途中で話が脱線し最終的には西川自身が面倒臭くなり「(インターネットなどで)自分で調べて」と匙を投げる。
1997年1月6日 月曜2部(27:00-29:00)で正式な初担当〔但し、1996年5月11日に代打でパーソナリティを務めたことがある。〕。ニッポン放送有楽町旧社屋で最後の担当開始だった。オールナイトニッポンアゲインにて語られたところによると、この際は林原めぐみと西川のどちらかがパーソナリティーに選ばれる予定であったという。〔ちなみに林原は2002年10月に放送された「西川ANNS・秋のアニメ祭り」で池田秀一石田彰と共にゲスト出演した。〕
1997年10月4日 金曜25:00-29:00へ移動(昇格)、番組名が『T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン Music Revolution』(ミュージックレボリューション)となる。4時間通してパーソナリティが担当するのは『ABブラザーズのオールナイトニッポン』以来〔金曜担当限定だと、つボイノリオが1977〜1978年に4時間通しの担当を務めて以来、20年ぶり。〕であった。
1998年4月 放送時間が短縮、金曜1部のみとなった(この際、副題の「Music Revolution」が取れる)。
1999年3月ごろ 西川がT.M.Revolutionとしての活動を休止した事に伴い、題名が『T.M.Revolution西川貴教の〜』から『西川貴教の~』になる。
1999年4月2日 LF+R開始に伴い時間移動、(火曜22:00-24:00)を担当。題名は『西川貴教のallnightnippon SUPER!』(以下「SUPER!」)となる。
SUPER!時代のエンディングテーマはSPARKS GO GO(たまにパフィーバージョンも使用されていた)の『ルーシーはムーンフェイス』(セルフカバーアルバム「NEW OLD STOCK」でのバージョンを使用。2005年3月21日放送より再びエンディングテーマに)。
2000年春ごろ 西川がT.M.Revolutionとしての活動を再開したので題名が再び『T.M.Revolution西川貴教の〜』に戻る。
2001年初頭ごろ 本人の希望により放送名が再び「西川貴教の〜」になる。
同年には福山雅治とともに『福山雅治・西川貴教のallnightnippon TV』というテレビ番組としてフジテレビで放送されたことがある(ナレーションを担当していたのは当時同局アナウンサーの荘口彰久)。
2001年9月11日 番組放送開始前後に米国同時多発テロが起こり、番組進行をしながらその様子が刻々と伝えられた。これは異例のことであり、通常は別のスタジオにいるアナウンサーが「報道特別番組」として放送中の番組を中止させて放送されるが、西川のパーソナリティーとしての能力を買い、そのまま西川貴教のallnightnippon SUPER!として放送させた。オールナイトニッポンでは放送時の地震発生などの緊急時にはアナウンサーが安全確保のため、リスナーに注意を呼びかけるが、ベテランパーソナリティーの場合、本人が注意事項を暗記しているため、アナウンサーを介さずに注意を呼びかけている。
2002年4月9日 児玉清をゲストに迎えた週の放送が日本民間放送連盟賞(ギャラクシー賞)を受賞。
2003年3月28日 LF+R終了に伴い、月曜深夜25:00〜27:00に時間移動。構成の石川昭人らそれまでのスタッフの大部分が降板し、内容を大幅にリニューアル。その後、番組終了時に公式サイトでスタッフ自ら『暗黒期』と語るように、毎月のようにコーナー・スタッフの入れ替えが行われることとなる。
2005年3月21日 石川ら、かつての主要スタッフが復帰、番組内容も往年のスタイルに戻った形となった。
2005年9月26日 レギュラー放送としての最終回を放送。最終回では聴取者を抽選でスタジオ見学に招待し、泣きながら提供クレジットの後にはネット局36局をすべて読み上げた。放送中のメール数は、1万通以上に達したという。
;レギュラー放送終了後の単発放送略史
番組が終わった後も、しばらくの間は番組ホームページがニッポン放送のアクセスランキングのトップ3に入ったり、リスナーから連日約1,000通のメールが相次いだという。その後、元スタッフにより更新され続けた後に閉鎖されていたが、『ザ☆ミュージックマンの〜』(後述)の放送に際し復活。現在は『T.M.Revolution 西川貴教のちょこっとナイトニッポン』のページとなっている。
2006年1月1日 月曜25:00枠でいつもの春風亭昇太に代わって、一夜限りの復活を果たす。
2010年3月23日 22:00〜23:50枠でいつものゆずに代わって、『ザ☆ミュージックマンのオールナイトニッポンGOLD』と題し、4年ぶりに復活放送(西川が主演を務めるミュージカル・『ザ☆ミュージックマン』の公演のプロモーションの一環として)。
2011年10月21日 『オールナイトニッポンGOLD app10.jp』の特別版として放送。
2012年4月6日 オールナイトニッポン45周年特別企画『西川貴教のオールナイトニッポンGOLD』と題して放送(『~GOLD』金曜パーソナリティーが週替わりになった、その1人目としてとして出演)。レイヴは無かったが、滋賀県知事の嘉田由紀子近藤夏子が電話出演した(近藤は「番組のヘビーリスナーだった」と語った)
2013年2月23日 21:00~22:30にオールナイトニッポン45時間スペシャルの一環として放送。歴代のハガキ職人一丸となり、ハガキ職人から放送作家になった人物に対してレイヴが行われた。題名が生放送を匂わせるものだったが実は録音放送であり、エンディングでネタばらしをした。
2013年5月10日 25:00~27:00で単発放送。金曜一部でいつものAKB48宮城県の出張のため、『西川貴教のオールナイトニッポン』の放送は14年ぶり(新曲『Preserved Roses』プロモーションの一環として。ゲストは同曲を共に歌う水樹奈々。なお、同日22:00~23:30枠で1ナイト放送した『水樹奈々のオールナイトニッポンGOLD』では、逆に西川がゲスト出演)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西川貴教のオールナイトニッポン」の詳細全文を読む




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