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藤田重利 : ミニ英和和英辞書
藤田重利[ふじた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
重利 : [じゅうり]
 (n) compound interest
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 

藤田重利 ( リダイレクト:藤田康邦 ) : ウィキペディア日本語版
藤田康邦[ふじた やすくに]
藤田 康邦(ふじた やすくに、1513年永正10年)? - 1555年8月29日天文24年8月13日))は、戦国時代武将武蔵国の豪族藤田氏当主。右衛門佐。初名は重利(しげとし)、のち康邦に改名。改名後のは泰邦、安国とも書く。
はじめ山内上杉氏に仕え、天神山城を守っていた。しかし北条氏康の攻撃を受けて降伏し、その家臣となった。このとき、氏康の四男・乙千代丸(氏邦)に娘(大福御前)を娶らせ、藤田氏の家督を譲っている。そして自らは用土城に居城を移し、用土氏を称した。名を重利から康邦(氏康の「康」と氏邦の「邦」(※「邦」については逆に、養子となった乙千代丸に与えて氏邦と名乗らせた可能性もある))に改めたのもこの頃とされる。
ただし、以上の事蹟については異説も多く存在し、生没年など康邦の実像は解明されていない部分も多い。
康邦には実子に用土重連藤田信吉(孫説も有り)がいたが、彼らは北条家にとっては邪魔者でしかなかったようであり、重連は沼田城城代に任じられたものの氏邦に毒殺され、信吉は武田勝頼に寝返っている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤田康邦」の詳細全文を読む




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