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葉赫那拉 : ミニ英和和英辞書
葉赫那拉[よう, は]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 

葉赫那拉 ( リダイレクト:葉赫那拉氏 ) : ウィキペディア日本語版
葉赫那拉氏[えほなら]
葉赫那拉(エホナラ、イェヘ=ナラ)は、満州民族の氏族のひとつ。16世紀後半から17世紀前半の末に女直(満州民族の前身)の強国であった部の首長を輩出した家系であり、また末の19世紀西太后を出したことで有名である。
葉赫那拉は満州語で(ローマ字表記:''Yehe Nara'')であり、本来はイェヘ=ナラなどとカタカナに写される音であるが、日本では漢字表記の「葉赫那拉」(ピンイン表記: Yèhè Nàlā)を中国語風に読んで表記した「エホナラ」の読みがむしろ広く見られる。
== 歴史 ==
イェヘ=ナラ氏は、満州民族に統合される以前は、16世紀から17世紀の女直社会に存在した三大集団のひとつ、海西女直(女直側の呼称ではフルン四部)に属するイェヘ部の首長を世襲してきた。
その名が「太陽」を意味すると言われるナラ氏は、フルン各部の首長を出した女直の名家であり、イェヘ=ナラ氏はナラ氏の一族のうちイェヘ河(現在の吉林省通河)流域の地を本貫とする家系という意味の姓である。しかしイェヘ=ナラ氏は実際にはナラ氏の男系を継承しておらず、もともとモンゴル高原東部(内蒙古)にいたモンゴル系の貴族であった先祖がフルンの一部を支配していたナラ氏の家系に取って代わってその支配者となったと伝えられており、実際にはモンゴル系の部族が女直と同化して誕生した氏族である。
イェヘ=ナラ氏が治めるイェヘ部は明と境を接しており、フルン四部のうちでは同じく明と接するハダ部と並んで精強な国であった。16世紀末にはハダ部が急速に衰えた結果、イェヘ部がフルン四部の盟主というべき地位にまで昇る。しかし同じ時期にはフルン四部の南に住む建州女直ヌルハチが建州女直を統一し、全女直の統一に向けて勢力を拡大していく過程にあたった。フルン四部はヌルハチによって次々に滅ぼされ、最後まで抵抗を続けたイェヘ部も1619年サルフの戦いで明と朝鮮、イェヘの連合軍がヌルハチに敗れた結果、力を失い、ヌルハチが先の1616年に立てていた後金(清の前身)に併合され、満州八旗に吸収された。
イェヘ部が滅ぼされたのちもイェヘ=ナラ氏は満州屈指の名族として重んぜられ、多くの重臣を輩出した。またナラ姓の女性は、清の皇族である愛新覚羅氏の出た建州女直とは系統を異にする海西女直の名門であることから、清の後宮に入った者も多く、イェヘ=ナラ氏の妃もたびたび出ている。既にヌルハチがイェヘ部を滅ぼす以前に娶った夫人のうち、第3夫人の孝慈高皇后はのちに第2代皇帝となるホンタイジを生んでおり、また孝慈高皇后の妹もヌルハチの側妃(側室)となってその第8女を生んでいる。乾隆帝の夭折した息子を産んだ舒妃、咸豊帝の後宮に入って同治帝を産んだ西太后も、そうして後宮で皇帝の寵愛を受けたイェヘ=ナラ氏の女性であった。ただその一方で、イェヘ=ナラ氏の中では身分の低い下級官僚の家庭に生まれた西太后が清末に国政に大きな影響力を持ったために、後述する「葉赫那拉の呪い」の伝説も生まれている。
イェヘ=ナラ氏の末裔たちは現在も満州民族の中に存在するが、満州民族の漢民族との同化が進んだ現代では、「葉」「那」など中国風の一字姓を称するのがほとんどである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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