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菅沼曲水 : ミニ英和和英辞書
菅沼曲水[すがぬま きょくすい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
曲水 : [きょくすい]
 (n) meandering stream

菅沼曲水 : ウィキペディア日本語版
菅沼曲水[すがぬま きょくすい]
菅沼 曲水(すがぬま きょくすい、万治2年(1659年) - 享保2年7月20日1717年8月26日))は、近江国膳所(現・滋賀県大津市)出身の武士、俳人。または曲翠とも。本名は菅沼定常、通称は外記、別号は馬指堂。菅沼定澄の子で、徳川家康に従った菅沼定盈の曾孫に当たる。膳所藩康俊系の本多家)では中老という重職に就き、また近江における松尾芭蕉の門人グループ・近江蕉門の重鎮として、芭蕉を経済的にもサポートした。 
江戸在府中に芭蕉の門人となる。芭蕉が初対面での印象を「ただ者に非ず」と感じたとされる。また後年の著書「幻住庵記」に「勇士曲水」との記述を残しているように、清廉な人柄であったようである。
奥の細道」の旅を終えた芭蕉は元禄3年(1690年)、近江膳所を初めて訪れた。その際に避暑地の住処として、伯父である菅沼定知の別荘を手入れし提供したのが幻住庵である。芭蕉はここに4月から7月までの間滞在し、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」との書き出しで有名な「幻住庵記」を著す。
享保2年(1717年)、不正を働く家老・曽我権太夫を槍で一突きにして殺害し、自らもその際に切腹した。墓所は義仲寺にある。
== 作品 ==

* ”おもふこと だまっているか ひきがえる”
* ”念入れて 冬からつぼむ 椿かな”

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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