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花乃湖健 : ミニ英和和英辞書
花乃湖健[はなのうみ けん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [の]
  1. (prt) (1) (uk) indicates possessive 2. (2) verb and adjective nominalizer (nominaliser) 3. (3) indicates question (sentence end)
: [みずうみ]
 【名詞】 1. lake 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 

花乃湖健 : ウィキペディア日本語版
花乃湖健[はなのうみ けん]
花乃湖 健(はなのうみ けん、1960年12月6日-)は、秋田県南秋田郡井川町出身で、放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士である。本名は澤石 健(さわいし けん)。最高位は西小結(1987年5月場所・1989年3月場所)。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は押し、突き落とし肩透かし
== 来歴・人物 ==
実家は農家。井川小学校在学時は野球をしていたが、体の大きさを見込まれて井川中学校では相撲部に勧誘され、同部で活躍した。そして、同郷(井川町出身)であった11代花籠親方(元前頭3・大ノ海久光)のスカウトを受け、中学校卒業後に花籠部屋へ入門。本人は中卒入門を躊躇っていたが、母親が「もし失敗しても、農家を継げばいい。」と温かく見守ってくれたため、決意を固めて1976年5月場所で初土俵を踏んだ。
なお、同期生には、後の十両・大竜がいる。
順調に出世し、1983年9月場所で十両昇進、1985年3月場所で新入幕を果たした。また、1987年5月場所と1989年3月場所では、三役(小結)昇進を果たしている(両場所とも負け越しに終わり、関脇への昇進は成らなかった)。
低い立ち合いから左右の強いおっつけと巧みな前捌き、右を差して鋭く寄る取り口が得意で、時折突き落としや肩透かしも見せた。取り口に派手さはないが、相撲の基本に忠実であり、玄人好みの力士であった。八百長を告発した板井圭介によると、ガチンコ力士だったといわれている。
1987年から1988年にかけての全盛期には安定した成績で幕内上位に定着し、千代の富士北勝海が苦手とするなど活躍した。
ところが現役晩年は故障が目立ち、腰部椎間板ヘルニアを患ったことが致命傷となって1989年7月場所直前に引退した。
なお、千代の富士の53連勝は、花乃湖に勝った一番(1988年5月場所7日目)から始まっている。
11代花籠の遺族の希望により、引退後、年寄・花籠(13代目)を襲名。しかし、資金難から花籠の名跡を維持できず、翌年の引退相撲直後に廃業した。〔第54代横綱輪島は、1981年3月場所での引退後、12代花籠を襲名して花籠部屋を継承した。しかし、1985年2月、彼が年寄名跡・花籠を担保に入れて借金をしていたという前代未聞の事実が表面化。このことも、花乃湖改め13代花籠が早々と廃業する原因になったと考えられる。同年12月にはこれが引き金となって12代花籠が廃業し、花籠部屋が消滅したため、花乃湖や花乃国(後の花ノ国)ら同部屋所属の全力士は元大関・魁傑が率いる放駒部屋に移籍した。〕
その後、秋田市山王地区で相撲料理店「ちゃんこ花乃湖」を開いたが閉店。現在は、北海道空知郡南幌町にあるホテル「プラザホテル二合半」を経営している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「花乃湖健」の詳細全文を読む




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