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筑波大学蹴球部 : ミニ英和和英辞書
筑波大学蹴球部[つくばだいがく しゅうきゅうぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
大学 : [だいがく]
 【名詞】 1. (1) university 2. (2) the Great Learning - one of the Four Books 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
蹴球 : [しゅうきゅう]
 【名詞】 1. football 2. soccer
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

筑波大学蹴球部 : ウィキペディア日本語版
筑波大学蹴球部[つくばだいがく しゅうきゅうぶ]

(つくばだいがく しゅうきゅうぶ)は、茨城県つくば市にある筑波大学のサッカー部。日本サッカー協会(JFA) が公式ホームページの「歴史・沿革」において記載する最も歴史を有するサッカーチームの一つである〔。''(つくばだいがく しゅうきゅうぶ)は、茨城県つくば市にある筑波大学のサッカー部。日本サッカー協会(JFA) が公式ホームページの「歴史・沿革」において記載する最も歴史を有するサッカーチームの一つである〔。
==歴史==
体操伝習所における教材としてサッカーが取り入れられた1878年が現在の筑波大学とサッカーとの始まりとなる〔。1886年に高等師範学校に体操伝習所が統合されて、高等師範学校の「体操専修科」となった〔「北海道サッカー協会創立80周年記念誌(第1章 黎明期)(PDF資料 ) 」, 財団法人北海道サッカー協会、2015年11月20日閲覧〕。
1896年3月、高等師範学校の「フートボール部」として創設され、同校教授の坪井玄道が部長に就任した。なお、当時はラグビーと未分化であったと伝えられている〔。1902年に高等師範学校から「東京高等師範学校」(東京高師)に改名した。
1902年4月、フートボール部の理事であった中村覚之助らにより日本で最初のサッカー指導書の「アッソシェーション・フットボール」を翻訳し、同年中に中村によってア式蹴球部が創設された。1903年秋にが「東京高等師範学校蹴球部」の名前で日本で最初のフットボールの書物となる「アッソシェーションフットボール」が出版された〔。
1904年にイングランド人のが東京高師に教員として赴任。この時にデ・ハヴィランドがアソシエーション・フットボール(ア式フットボール。現在のサッカー)を指導したことでサッカーが行われるようになったと伝わっている(なお、デ・ハヴィランドは1906年に東京高師の教員を退任)〔。
1904年2月、横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)と対戦して0-9で敗北。なお、この試合が日本で初めて開催された外国のチームとの対戦とされている〔。
1907年11月、日本のクラブ同士で行われた初めての対抗試合とされる東京府青山師範学校との試合が開催された〔。
1917年5月、東京高師が日本代表チームとして第3回極東選手権競技大会に出場〔。5月9日に初めての日本代表としての国際試合で中華民国代表と対戦した(0-5で敗北)。また、5月10日には元FCバルセロナパウリノ・アルカンタラを擁するフィリピン代表と対戦し、2-15で敗れたが、この試合で東京高師在学中だった藤井春吉が日本代表初得点を記録した。なお、この試合は現在でも日本代表の最大差敗戦試合となっている。
1921年、東京高師の関係者が中心となり「大日本蹴球協会」(現在の日本サッカー協会)が創設された〔。
1922年、日本最初のリーグ戦である「専門学校蹴球リーグ戦」に東京帝国大学早稲田大学東京商科大学と共に参加。なお、同年で「専門学校蹴球リーグ戦」は休止されたが、1924年にア式蹴球東京コレッヂリーグ(現:関東大学サッカーリーグ戦 )が創設され、「専門学校蹴球リーグ戦」に参加していた東京帝大、早稲田大に加えて、法政大慶應義塾大東京農大の5校と共に1部に入った(同年は4位の成績)。1925年、ア式蹴球東京コレッヂリーグで初優勝を果たした。
1929年、東京高等師範学校から東京文理科大学へ改組し、同大学の蹴球部となった。
1935年、全日本選手権大会(現在の天皇杯全日本サッカー選手権大会)に初出場し関大クラブなどを破って決勝に進出。決勝はに敗れたが、準優勝の成績を残した。
1936年、ベルリンオリンピックにおけるサッカー競技の日本代表に在学中の松永行が選出され、スウェーデン代表で決勝点となるゴールを決めた(ベルリンの奇跡も参照)。
1949年、東京文理科大学が東京教育大学へ改組し、同大学の蹴球部となった。
1954年、全日本大学サッカー選手権大会で初優勝を果たした。1959年、中央大学学友会サッカー部との中教サッカー定期戦(現在は「中筑サッカー定期戦」)が開始された。
1978年、東京教育大学が閉鎖され、筑波大学が発足すると共に同大学の蹴球部となった。
1981年、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで初優勝した。また、同年の第61回天皇杯全日本サッカー選手権大会の2回戦で古河電工、準々決勝で日立製作所とJSL勢を連破してベスト4に入った。
2012年、26回目の出場となった第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会の1回戦でJFL所属(当時)のFC琉球に勝利した。
2014年11月、中央大学に敗れて創部以来初となる関東大学リーグ2部へ降格した。
2015年11月、関東大学リーグ2部で2位に入って1年での1部復帰を決めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「筑波大学蹴球部」の詳細全文を読む




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