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第25回NHK紅白歌合戦 : ミニ英和和英辞書
第25回NHK紅白歌合戦[だい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [かい]
 【名詞】 1. counter for occurrences 
: [べに, くれない]
 【名詞】 1. deep red 2. crimson 
紅白 : [こうはく]
 【名詞】 1. red and white 2. colours for festive or auspicious occasions (colors) 
紅白歌合戦 : [こうはくうたがっせん]
 (n) annual singing contest held on New Year's Eve
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
歌合 : [うたあわせ]
 【名詞】 1. poetry contest 
歌合戦 : [うたがっせん]
 (n) singing matches
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合戦 : [かっせん]
 【名詞】 1. battle 2. engagement 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

第25回NHK紅白歌合戦 : ウィキペディア日本語版
第25回NHK紅白歌合戦[だい]

第25回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうごかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1974年12月31日NHKホールで行われた、通算25回目のNHK紅白歌合戦である。21時から23時45分にNHK生放送された。
== 概要 ==

*前回まで司会を12年連続(白組司会→総合司会→白組司会)、紅組・白組・総合の全ての司会を通算15回務めていた宮田輝がこの年NHKを退職、並びに参議院議員へ転身したため、白組司会は彼の後輩でここ2年間は総合司会を担当していた山川静夫に交代。山川はこの時、「宮田さんのようにぐいぐい引っ張っていく蒸気機関車型の司会は私にはできない、ディレクターや技術さんと繋がった山手線型の司会を目指そう」と思ったという〔『紅白50回』〕。
*紅組司会については、「今年は歌手にこだわらない」との方針のもと、吉永小百合栗原小巻森光子がマークされ、控え候補として和田アキ子今陽子由紀さおり都はるみ、前回担当者の水前寺清子第23回1972年)担当者の佐良直美が残った。一時は和田が最有力となったが、日本テレビ系列『金曜10時!うわさのチャンネル!!』などで民放色が強いとして見送られ、最終的には由紀、佐良、栗原、水前寺に絞られたが、対抗の山川が初白組司会ということで「もし独特の雰囲気にのまれてしまったら、女性の方まで気が回らなくなる」(宮田の後任という重圧・責任感も考慮された)と紅組司会経験者からの選出の意向が出され、2年前の担当者である佐良の再登板が決定した(水前寺は前回も入れて3回の担当経験者という点を踏まえ、新鮮味を出す意味でも1回しか経験のない佐良が選ばれた)〔合田道人『紅白歌合戦の真実』〕〔合田『紅白歌合戦の舞台裏』〕〔佐良は前回も紅組司会の有力候補に挙がり、一時内定状態にもなったが、宮田の一声で急転直下し水前寺が起用される格好となっていた。〕。なお、佐良・山川はこの年の『思い出のメロディー』でも司会コンビを組んだ。
*総合司会は土門正夫中江陽三が担当、総合司会の2人体制は史上初。その後も総合司会の2人体制は実例があるが、男性2人による体制は今回のみである。
*佐良はここ数年ヒット曲がなく、紅組司会選出がなければ落選も噂されていた。紅組司会決定を受けて「今年は駄目だと思ってヨーロッパに逃避旅行を計画していたけど、司会の相手が山あり川ありの相当手強い相手なので、持ち前のお色気でひとつぐぐっと迫ります」と述べた〔合田『紅白歌合戦の真実』〕。
*佐良が紅組歌手一同に弁当を差し入れをすると聞いた山川は自身もそれに倣って白組歌手一同に弁当を差し入れたほか、衣装代も大金をかけたという(山川は全部自腹のため負担が大きかったと振り返る)〔『紅白50回』〕。
*今回は出場歌手と司会の発表を同時に行った〔合田『紅白歌合戦の舞台裏』〕。
*白組トップバッターを務めた西城秀樹のステージでは、自身の考案によりドライアイスによる演出が紅白史上初めて行われた。
*渡哲也のステージには、ドラマで共演の大原麗子(渡の実弟で渡瀬恒彦の妻=渡とは義兄妹でもあった)が駆けつけた。
*ヴェルベッドのスーツでクールに歌う沢田研二のステージの後半に、本物の白いが手元に飛んでくるという、楽曲のイメージと相俟って粋な演出があった。
*美川憲一はステージの途中、佐良から花束が贈られた。奇しくも美川は翌年の第26回で落選し、以降第42回1991年)まで紅白出場から遠ざかることとなってしまった。このブランクの間に美川が女性化したのは言うまでもない。
*佐良が歌手として出演する際の代理の曲紹介は水前寺が行った。
*小坂明子は前年(1973年)に発売した「あなた」が200万枚を超える大ヒットとなり出場。実父である小坂務指揮による伴奏でピアノ弾き語りで本作を披露した。親子共演は紅白史上初であった。
*森進一は白組トリおよび初大トリを務め、第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」を歌った。ところが、一礼した際にズボンのファスナーが開いていることが分かった。間奏のところで、他の白組歌手たちがそれとなく森を取り囲む形でファスナーを閉めるというハプニングがあった。
*また紅組トリの島倉千代子(この年デビュー20周年。2年連続トリ)の歌唱曲も同じタイトルの「襟裳岬」であった(歌詞・メロディ共に進一とは全く異なる別曲である)。当初島倉は紅白で未歌唱のデビュー曲「この世の花」を歌唱する予定だったが、進一に対抗するため「襟裳岬」に変更した。紅組トリの候補には島倉以外に水前寺(この年デビュー10周年且つ10年連続出場達成)、都(同じくこの年デビュー10周年且つ10年連続出場達成)も挙がっていたという〔合田『紅白歌合戦の舞台裏』〕。
*白組トリは進一と五木ひろし(同じくこの年デビュー10周年)の争いであったという〔『微笑』1974年12月14日号、20頁。〕。なお、五木は翌年の第26回で初白組トリを務めた。
*紅組の3連勝はこれを最後に途絶えている。
*山川は放送後、各方面から「(白組が)負けましたね」と言われたという〔『紅白50回』〕。
*1990年1994年1998年に、『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第25回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む




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