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第1次ソールズベリー侯爵内閣 : ミニ英和和英辞書
第1次ソールズベリー侯爵内閣[だい1じそーるずべりーこうしゃくないかく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 
侯爵 : [こうしゃく]
 【名詞】 1. marquis 2. marquess 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内閣 : [ないかく]
 【名詞】 1. cabinet 2. (government) ministry 

第1次ソールズベリー侯爵内閣 : ウィキペディア日本語版
第1次ソールズベリー侯爵内閣[だい1じそーるずべりーこうしゃくないかく]

第1次ソールズベリー侯爵内閣()は、1885年7月から1886年2月まで続いた保守党党首第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル首相とするイギリスの内閣である。
== 成立の経緯 ==
自由党政権第2次グラッドストン内閣はアイルランド強圧法の更新をめぐって分裂。対して保守党はランドルフ・チャーチル卿の主導で党首チャールズ・スチュワート・パーネルに接近を図り、強圧法更新に反対した。これにより両党の協力関係が出来上がり、1885年6月8日の庶民院で保守党とアイルランド議会党は自由党政府提出予算案の修正動議を可決させ、グラッドストン内閣を総辞職に追い込んだ〔神川(2011) p.373-374〕。
1881年に初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが死去して以来、保守党は全党党首が不在であり、庶民院保守党はサー・スタッフォード・ノースコート準男爵(後の初代イデスリー伯爵)、貴族院保守党は第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルが指導するという両院別個の二党首体制を取っていた。しかしノースコートは庶民院保守党を統制できず、ランドルフ・チャーチル卿やアーサー・バルフォアら「」が彼を差し置く形でグラッドストン政権批判を展開していた。そのため、この1885年の時点ではノースコートの権威は墜落しており、衆目の一致する保守党指導者はソールズベリー侯爵であった〔小関(2006) p.32/62〕。
ヴィクトリア女王が組閣の大命を下したのもソールズベリー侯爵だった。しかし当時保守党は自由党に170議席以上の大差をつけられている少数党であり、政権を取っても自由党が敵対的態度を取ればすぐに潰されてしまうため、ソールズベリー侯爵は大命拝受を逡巡した。一方グラッドストンも自由党に不利であろう即時の解散総選挙を恐れていたので、結局、即時解散総選挙をしないことを条件に自由党は保守党政権への攻撃を控えるということで両党は合意した〔君塚(2007) p.192-193〕。
こうして6月23日、ウィンザー城に参内したソールズベリー侯爵は組閣の大命を拝受することになった〔君塚(2007) p.193〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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