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立花貞次郎 : ミニ英和和英辞書
立花貞次郎[じろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

立花貞次郎 ( リダイレクト:立花貞二郎 ) : ウィキペディア日本語版
立花貞二郎[たちばな ていじろう]

立花 貞二郎(たちばな ていじろう、1893年 (明治26年)- 1918年(大正7年)11月11日立花貞二郎 、『朝日日本歴史人物事典』、同項執筆長崎一朝日新聞出版コトバンク、2009年12月1日閲覧。〕〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「立花貞二郎」の項。〕〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.152。〕)は、日本の女形俳優、元子役である〔。
== 来歴 ==
1893年(明治26年)、東京府東京市浅草区新谷町(現在の東京都台東区千束1丁目)に生まれる〔〔。兄は歌舞伎役者の中村富之亟だが、立花の幼少期に鉛毒で死去している〔『日本映画人名事典 男優篇・下巻』キネマ旬報社、1996年、p.101「立花貞二郎」の項。執筆者は田中純一郎。〕。
幼少にして初代 中村芝鶴のもとで子役として初舞台を踏んだ〔。子役期を脱して本格的な初舞台を踏んだのは、満12歳を迎える1905年(明治38年)であった〔。
歌舞伎時代の名は中村 芝鷺(なかむら しろ)〔、また中村 芝鷺助(なかむら しろすけ)と名乗った時期もある〔『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)〕。
新派への転向を経て、満16歳を迎える1909年(明治42年)、吉沢商会で映画界にデビューした〔〔。その後、梅屋庄吉M・パテー商会作品にも出演し〔、1912年(明治45年)に吉沢商会、M・パテー商会が他の2社と合併して日活を設立、翌1913年(大正2年)に建設・開所された日活向島撮影所に入社する〔〔。
やどり木』(1913年)、『花の夢』(1914年)等で主役を張り〔、1914年(大正3年)、関根達発と共演したレフ・トルストイの小説『復活』の映画化、『カチューシャ』が大ヒットとなった〔。同作が立花の出世作となり、日活向島の人気女形スターとなった。薄幸のヒロイン役が人気であり〔、同時代のアメリカ映画の女優・メアリー・ピックフォードに比された〔〔。
1918年(大正7年)11月11日、日活向島を辞め、巡業に出るがもともと身体が弱く、名古屋の巡業先で〔『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)〕、兄と同じ鉛毒で死去した〔〔〔。満25歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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