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祥鳳剛 : ミニ英和和英辞書
祥鳳剛[ごう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう]
 【名詞】 1. mythical Firebird God (sometimes erroneously associated with 'phoenix') 2. male Hinotori

祥鳳剛 ( リダイレクト:水口剛 ) : ウィキペディア日本語版
水口剛[みずぐち つよし]

水口 剛(みずぐち つよし、1981年7月21日 - )は、大阪府門真市出身で、春日山部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長182cm、体重130kg、血液型A型。最高位は東幕下4枚目(2013年5月場所、2013年9月場所)。
祥鳳の四股名を名乗っていた2011年5月技量審査場所から2012年11月場所までと、2013年3月場所、2015年1月場所で本場所の弓取式を担当した。
== 人物 ==
高校2年生の春に出場した相撲の新人戦で声をかけられたことが縁で、大学は立命館大学産業社会学部にスポーツ推薦で進学し、相撲部に所属していた。大学時代は怪我に泣かされて満足な相撲を取れず、大学卒業後も就職先が決まらなかったこともあり、立命館大学出身者としては初めて大相撲界入りすることを決意。2004年7月場所に春日山部屋から初土俵を踏む。新弟子検査の時の年齢は22歳11ヶ月で、23歳未満という年齢制限ぎりぎりでの入門であった。春日山部屋を選んだ理由は、相談に乗ってくれる従姉が部屋のある川崎に在住していたこと、当時の春日山親方が水口に対して「立ち合いは何をやっても良い。」という極めて自由な方針を取っていたこと、日雇いの面接すら落とされるほど仕事探しの状況が悪かったことの3つである。
初めて番付に名前が載った2004年9月場所はいきなり7戦全勝の序ノ口優勝。翌11月場所も6連勝と好調で、デビューからの13連勝を記録していたが、7番相撲に敗れて序二段優勝はならなかった。2005年5月場所で幕下に昇進するが、以降は幕下中位から三段目の往復が続いた。
2010年1月場所限りで横綱朝青龍が引退。弓取式は支度部屋に最後まで残ることになる横綱の付き人が務める慣例があり、朝青龍が引退した次の場所の2010年3月場所までは、朝青龍の付き人の男女ノ里が務めていた。通常ならばここで1人横綱となった白鵬の付き人に交代することになるが、白鵬の所属する宮城野部屋は、所属力士数が10人にも満たない小部屋であることから適当な人が見つからず、違う部屋ながらも白鵬の付き人を務めていた祥鳳が弓取りの担当に決定した。朝青龍の引退は電撃的なものであったこともあり、経験不足のため本場所の弓取式は担当できず、同年5月場所からは、元大関千代大海(現・佐ノ山)が2010年1月場所限りで引退するまでその付き人をしていた千代の花九重部屋)が暫定的に務め、2011年1月場所から祥鳳が担当することになった。
しかし、土付かずの6連勝で優勝を争っていた2010年9月場所13日目、勝った方が幕下優勝という取組が組まれ、髙安と対戦した際に右膝靭帯断裂及び半月板損傷の重症を負った。治療とリハビリのため、母校の立命館大学に戻り、大学時代のトレーナーの元で土俵復帰に向けたトレーニングを開始することになるが、2010年11月場所以降は休場となり、2011年1月場所の弓取式は千代の花が急遽続投した。
2011年5月技量審査場所で土俵復帰すると、それと同時に弓取式の担当者として1場所遅れのデビューを果たした。この前の場所である同年1月場所限りで暫定的な担当者だった千代の花が現役を引退しており、男女ノ里が急遽弓取りに復帰する可能性もあったが、結局行われなかった。土俵復帰後は2012年1月場所に6勝1敗の好成績で幕下の優勝決定戦に進出している(この場所は同点者8人によるトーナメント方式の優勝決定戦で、千代鳳に敗れ1回戦敗退)。同年5月場所では関取昇進の可能性がある幕下15枚目以内の番付に初めて昇格している。
なお、この当時の祥鳳は関取昇進の可能性がある番付にいるが、弓取式は通常関取が務めない慣例になっていることと、2012年9月場所後に新横綱・日馬富士が誕生したことから、弓取り力士は日馬富士の付き人である聡ノ富士に交代するための準備が進み〔弓取り力士に日馬の兄弟子デビュー nikkansports.com 2012年11月6日閲覧〕、2013年1月場所では弓取りからいったん外れた。同年3月場所は地元での開催のため再び弓取りを務めたが、5月場所からは再び聡ノ富士が担当するようになった。その後、四股名を本名の「水口」に戻して、2015年1月場所では三たび弓取りを務めることになった。
幕下以下の力士としては特に変化が目立ち、場所に複数回変化することも珍しくない。過去には場所中6回も変化をしたことがある。2015年3月場所初日の1番相撲で敗れた際には高崎から「中に入る相撲は珍しい」と評され、NHKアナウンサーの大坂敏久からは「はたく、いなすだけでは駄目ですからね。負けはしましたがいい相撲でした」と褒められるという現象がみられており、それだけ注文相撲が多い力士として認知されている、

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「水口剛」の詳細全文を読む




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