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神重徳 : ミニ英和和英辞書
神重徳[かみ しげのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

神重徳 : ウィキペディア日本語版
神重徳[かみ しげのり]

神 重徳(かみ しげのり、1900年明治33年)1月23日 - 1945年昭和20年)9月15日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将海軍兵学校48期生。
== 生涯 ==

=== 戦前 ===
1900年明治33年)1月23日鹿児島県出水郡高尾野村(現在の出水市)の神焼酎製造(現神酒造)を営む父・惣士の長男として生まれる。旧制鹿児島県立川内中学校から1917年海軍兵学校を受けたが不合格となり同年10月10日第48期補欠募集で〔秦郁彦『昭和史の軍人たち』文藝春秋p56〕166名中29番の成績で入校。1919年10月8日成績優等章授与。1920年7月16日171名中10番の成績で海兵48期を卒業。海軍少尉候補生装甲巡洋艦浅間」乗組。
1920年8月21日練習艦隊遠洋航海( 基隆~馬公~香港~シンガポール~コロンボ~ダーバン~ケープタウン~リオデジャネイロ~サントス~モンテビデオ~バイアブランカ~バルパライソ~イキケ~カヤオ~タヒナ~トラック~サイパン~母島~父島方面巡航の西廻り世界一周)に出発。赤道地帯の石炭積みの重労働に閉口して「俺はもう海軍が嫌になった。日本に帰ったら故郷に帰り焼酎を作る」と言っていた〔秦郁彦『昭和史の軍人たち』文藝春秋p56〕。1921年(大正10年)4月2日帰国した。4月9日2等巡洋艦矢矧(初代)」乗組。6月1日海軍少尉1922年7月12日海軍砲術学校普通科学生。12月1日海軍水雷学校普通科学生。1923年(大正12年)3月30日1等海防艦八雲」乗組。少尉候補生指導官附。11月7日練習艦隊遠洋航海出発(上海~マニラ~シンガポール~バタヴィア~フリーマントル~メルボルン~ホバート~シドニー~ウェリントン~オークランド~ヌーメリア~ラバウル~トラック~パラオ~サイパン方面巡航)。12月1日海軍中尉1924年(大正13年)4月5日帰国。4月10日1等駆逐艦矢風」航海長心得兼分隊長心得。12月1日戦艦山城」分隊長。1925年(大正14年)12月1日海軍大尉、海軍砲術学校高等科第25期学生。この頃父が死に神は故郷に帰って後を継ぐべきか1か月ほど迷ったが、弟にやらせてうまくいかなかったら自分が代わると決めた〔秦郁彦『昭和史の軍人たち』文藝春秋p56〕。1926年(大正15年)11月27日海軍砲術学校高等科優等修了。12月1日戦艦「伊勢」分隊長。1927年(昭和2年)12月1日戦艦「扶桑」分隊長。1928年(昭和3年)12月10日海軍兵学校教官兼監事。病で留年した吉田俊雄に、分隊監事であった神は60kg近くある米俵を両手で持ち上げてみせ、「自分も大して力がある方ではない。しかし、吉田候補生も頑張ればこの程度の事はできる」と励ました。1930年(昭和5年)12月1日巡洋戦艦霧島」分隊長。
1931年(昭和6年)10月24日海軍軍令部第1班第2課。12月1日海軍少佐、3度目の受験で海軍大学校に甲種第31期学生として合格した。神は落ちたら焼酎屋のおやじに戻ると言っていた〔秦郁彦『昭和史の軍人たち』文藝春秋p56〕。1933年(昭和8年)5月20日海軍大学校甲種を24名中首席で卒業。5月23日巡洋戦艦「霧島」副砲長兼分隊長。11月15日軍令部出仕。12月6日ドイツ駐在。1935年(昭和10年)4月1日ドイツ日本大使館附海軍駐在武官府補佐官補12月11日帰国。帰国後は親ナチスとなりヒトラーが勝つと周囲に説いた。神はヒトラー髭にもしていた。1936年(昭和11年)3月10日海軍省出仕 兼軍令部出仕。3月19日海軍省軍務局第1課 兼艦政本部出仕。神は日独伊三国軍事同盟賛成派の急先鋒であり、反対派の軍務局長井上成美の外務省との案件に神は抗議しにきたが、井上が更迭をほのめかすと神妙になり指示に従った〔赤城毅『亡国の本質 日本はなぜ敗戦必至の戦争に突入したのか』PHP研究所p131、『昭和史の軍人たち』p.58〕。12月1日、海軍中佐1937年(昭和12年)11月20日、兼大本営海軍報道部員。1938年(昭和13年)5月18日、艦政本部出仕。1939年(昭和14年)5月1日第五艦隊司令部参謀。
1939年11月15日、軍令部第1部第1課兼大本営海軍参謀。1940年(昭和15年)11月15日、兼陸軍参謀本部参謀。1941年(昭和16年)10月15日、海軍大佐

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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