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砂子義一 : ミニ英和和英辞書
砂子義一[すなこ よしかず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

砂子 : [すなご]
 【名詞】 1. sand 2. gold or silver dust
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [いち]
  1. (num) one 

砂子義一 : ウィキペディア日本語版
砂子義一[すなこ よしかず]

砂子義一(すなこ よしかず、1932年9月23日 - )は、元レーシングライダー、元レーシングドライバー。一時は「砂子晴彦」の名でレースに出場していた。
ヤマハワークスライダーとして世界GPレースなどで活躍後、プリンス自動車のワークスドライバーとして4輪レーシングドライバーに転身。プリンスが日産自動車と合併した後は、日産ワークスドライバーとして活躍した。
息子の砂子智彦(別名・砂子塾長)もレーシングドライバーとして活躍した。
== 2輪時代 ==
台湾の高雄で生まれ、神戸や大阪で育った。1951年に高校を卒業後、スミタ(東京都墨田区に本社があった2輪車メーカー)の大阪支社に就職し、エンジンの組み立てに従事する。その後、スミタの経営が悪化し、1955年に創業したばかりのヤマハの大阪代理店に転職〔2輪誌『モーターサイクリスト』(八重洲出版)記者の薦めだったという。〕。静岡のヤマハ本社の製造ラインに応援に駆り出され、ひょんなことから本社テストライダーと競争して勝ったことから、ヤマハのレースチームに加わったという。
1956年、第4回富士登山レース富士山の登山道(一般道)を封鎖して行われたヒルクライム。当時は浅間火山レースと並んで、2輪の大レースだった。〕250ccクラス優勝。
1957年、第2回浅間火山レース250ccクラス2位。
1961年、ヤマハが世界GPレースに初参戦。砂子はオランダGP125ccクラス9位、ベルギーGP250ccクラス6位などの成績をあげる。
1962年、ヤマハが世界GPレース参戦を中断。
1963年、ヤマハが世界GPレースに再参戦。オランダGP250ccクラス4位、ベルギーGP250ccクラス2位〔優勝は砂子と同じヤマハワークスライダーで、天才と評された伊藤史朗。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「砂子義一」の詳細全文を読む




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