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白井光太郎 : ミニ英和和英辞書
白井光太郎[しらい みつたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

白井光太郎 : ウィキペディア日本語版
白井光太郎[しらい みつたろう]

白井 光太郎(しらい みつたろう、1863年7月17日(文久3年6月2日)〔末松直次(1962)「本会初代会長白井光太郎先生の生誕第百年を迎えて 」日本植物病理學會報 27(3), 99-101〕 - 1932年5月30日)は、日本の植物病理学者、本草学者、菌類学者。
日本において植物病理学の研究を推し進めた最初期の人物。日本植物病理学会の設立にも携わり、同会初代会長を勤めた〔。また本草学の発展に重要な役割を果たした他、考古学にも造詣が深く、史蹟名勝天然紀念物の保存にも深く関わっていた〔藤田直子、小野良平、熊谷洋一(2005)『史蹟名勝天然紀念物保存における「社叢」の意味と位置付けの変遷に関する研究 』ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 68(5), 417-420〕。
== 略歴 ==
1863年に生まれた。出身は江戸(現在の東京都)とされているが〔、福井藩(現在の福井県)出身という説もある〔。1886年に東京帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)植物学科を卒業〔。卒業後すぐに東京農林学校の助教授となり、翌年教授に就任。1890年に帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)に異動して助教授となり、植物学講座を担当した〔。
1899年から1901年まで、ドイツに留学して植物病理学の研究に取り組んだ。この際白井は、日本でほとんど研究が進んでいなかった植物寄生菌の写生図や標本を多数持参し、ヨーロッパで記載されている種と比較を行って、種の確定や新種記載といった研究の進展に大きく貢献した〔伊藤一雄(1965)『日本における樹病学発達の展望――日本樹病学史 (1)』林業試験場研究報告 174 59-162〕。
帰国して5年後の1906年に、東京帝国大学農科大学に世界初となる植物病理学講座を新設し、これを担当〔〔。翌年同大学の教授となった。1910年に理学博士を授与される。なお1915年から1919年までは東京農業大学の教授も兼任していた〔。
1920年に日本植物病理学会を設立、同会初代会長に就任した〔。1929年に東京帝国大学を定年退官し〔、1932年に死去〔。
白井は植物に感染する病原菌の分類、記載を行い、や原摂祐らとの共同研究も含め、50種類以上の新種または新変種を記載した〔。また白井に献名された分類群も、タケの赤因子病菌属 ''Shiraia'' P. Hennings やマダケの小団子病菌属 ''Shiraiella'' Hara をはじめ多数ある〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白井光太郎」の詳細全文を読む




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