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田村正光 : ミニ英和和英辞書
田村正光[たむら まさみつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

田村正光 : ウィキペディア日本語版
田村正光[たむら まさみつ]

田村 正光(たむら まさみつ、1949年8月23日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手、元調教助手
北海道出身。元騎手田村真来は娘、元調教師の梶与四松は義父(妻の父)、騎手の梶晃啓は妻の甥である。
== 来歴 ==
1969年に騎手免許を取得し、東京の稲葉幸夫厩舎所属としてデビュー。同期には須貝四郎内田国夫西浦勝一上野清章らがいる。
初騎乗は同年3月1日東京競馬第4競走でオフク(12頭中4着)、初勝利は翌3月2日東京競馬第4競走でマナメントであった。デビュー2週間後の3月16日には東京障害特別(春)をクインサーフに騎乗して早くも重賞初勝利を挙げている。また、平地競走の重賞はその翌年の1970年クイーンカップタマミに騎乗して勝利している。さらに1971年には朝日杯3歳ステークスをトクザクラに騎乗してG1競走(ただし当時はグレード制導入前)初勝利を挙げた。この年の途中でそれまでの稲葉幸夫厩舎から梶与四松厩舎へと所属を変更しており、トクザクラはその梶の管理馬であった。
その後もコンスタントに勝ち星を重ね、ベストパートナーとなるスダホーク主戦騎手〔同馬は一時期は関西所属の田原成貴が主戦騎手であったが、末期には柴田政人樋口弘が騎乗したそれぞれ1戦をのぞきふたたび田村が手綱を取った。〕となるなど、重賞戦線を賑わせる上位の成績を残していたが、1990年代に入ると若手の台頭で騎乗数・勝利数ともに減り、重賞も1989年のクリスタルカップ(リンカーンシチーに騎乗)が最後の勝利となった。それでも1996年には娘の真来が騎手デビューし、親娘騎手として注目されたが、1999年12月31日をもって騎手を引退した。
生涯成績は7222戦779勝で、そのうち障害競走は58戦8勝、重賞は28勝であった。
引退後は直前に所属していた高木嘉夫厩舎で調教助手をしていたが、2005年5月20日に高木が勇退し厩舎が解散したため、現在ではノーザンファーム天栄(旧・天栄ホースパーク)の従業員として競走馬の育成に携わっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田村正光」の詳細全文を読む




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