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田口周 : ミニ英和和英辞書
田口周[たぐち いたる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)

田口周 : ウィキペディア日本語版
田口周[たぐち いたる]

田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 2006年7月19日)は、日本スポーツライター高校野球指導者、プロ野球監督・球団経営者。東京都出身。
==来歴・人物==
日本大学第三高等学校日本大学卒業。共に野球部に所属し、一塁手投手として活躍。右投右打。
1956年日刊スポーツ野球記者となる。
1960年、母校の日本大学第三高等学校野球部監督に就任。1962年選抜高等学校野球大会では準優勝に導く。
その後、日刊スポーツ野球記者に復帰後、1968年2月、プロ経験はないものの高校での監督経験を買われ、サンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)二軍監督に就任。1971年1972年と2年連続でイースタン・リーグ優勝を決め、1975年退任。
1976年、フロント入り。総務部長、スカウト部長を経て、1985年から球団代表、1997年3月から球団社長を務める。この間、野村克也監督の招聘、古田敦也捕手ら好選手の入団など、チーム整備に努め、ヤクルトスワローズの黄金時代を築く。2001年に退任後も球団相談役、スワローズの初代OB会長として球団をバックアップしていた。
2006年7月19日午後4時6分、東京都の病院で心不全のため死去。73歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田口周」の詳細全文を読む




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