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田中忠治 : ミニ英和和英辞書
田中忠治[たなか ただはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 

田中忠治 : ウィキペディア日本語版
田中忠治[たなか ただはる]

田中 忠治(たなか ただはる、1942年1月26日 - )は、山口県防府市出身の元プロレスラーリングネームの名付け親は豊登で、国定忠治をイメージしたものである。
== 来歴 ==
1957年、中学卒業と同時に上京し、力道山邸に内弟子として住み込む。
その後、豊登の付き人として、終始行動を一にし、1965年末、豊登が日本プロレス社長の座を追われた際も行動を共にし、東京プロレス旗揚げに参加。団体崩壊後も一緒に1968年1月、国際プロレスに入団。
1969年2月、マイク・マリノを破り、IWAミッド・ヘビー級選手権の初代王者となる。1970年に豊登が引退した後も国際プロレスに残留し、同王座防衛を重ねるが1971年3月、海外遠征出発時に同王座を返上。スペイン、ドイツ、フランスや南アフリカを転戦し翌年6月に凱旋帰国。1973年3月5日には山口市にて、ホセ・クィンテロと初の金網デスマッチを行っている〔IWE Big Challenge Series - Day 7 Wrestlingdeta.com 2015年3月8日閲覧〕。
力道山の薫陶を受けた15年のキャリア(当時の国際プロレスでは最古参)と、欧州で磨きをかけた技術を買われた事などから、プレーイング・コーチに任命されるが、若手の台頭もあり、徐々に表舞台から身を引く形となる。また、1975年頃から肝臓疾患に苦しみ、1977年9月、シリーズ開幕前に「体力の限界」を理由に退団を申し出て引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中忠治」の詳細全文を読む




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