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田中三七一 : ミニ英和和英辞書
田中三七一[たなか みないち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [み]
  1. (num) three 
: [しち]
  1. (num) seven 
: [いち]
  1. (num) one 

田中三七一 : ウィキペディア日本語版
田中三七一[たなか みないち]
田中三七一(たなか みないち、1904年明治37年)1月19日 - 1992年平成4年)10月10日)は日本囲碁棋士東京出身、日本棋院所属、七段(追贈八段)。旧姓加藤。兄は加藤信八段。棋士会の副会長を務めるなど、篤実な人柄で、武宮正樹九段の「最初の師匠」としても知られる。
==経歴==
1927年(昭和2年)に井上一郎五段に試験碁を受けて二段を免許される。同年春期大手合乙組優勝、三段昇段。1944年四段。1956年五段。1974年六段。1984年引退、七段。
1960年頃から当時9歳の武宮正樹への囲碁指導を始め、その後武宮が院生の1級に進むまでの4年間で、五子から先まで約90局の指導碁を行う。プロ試験に合格した武宮を木谷實九段に推薦し、「私が生みの親、木谷さんが育ての親、それでいいじゃないですか」と言って木谷門下とした〔『棋道』1992年12月号(武宮正樹「田中三七一先生の思い出」)〕。1974年に第14期名人戦の予選で、武宮正樹七段との師弟対決が実現、プロ十傑戦で2位などの活躍をしていた武宮に対して、当時70歳の田中は武宮ばりの「中の碁」で応戦し、勝利は譲ったものの2目半差のと健闘した。
田中の碁は「地を取るのが嫌い」であり、中央志向の力戦派であった。こうした田中の棋風は教え子である武宮正樹少年に引き継がれ、武宮独特の「宇宙流布石構想」の完成に多大な影響を与えた。田中が目指した「地にこだわらない中央志向の碁」は武宮により完成され、その独創的なスタイルは世界中で極めて高く評価されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中三七一」の詳細全文を読む




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