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琴の若実哉 : ミニ英和和英辞書
琴の若実哉[きん, こと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん, こと]
 【名詞】 1. koto (Japanese plucked stringed instrument) 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [や]
 (n) question mark

琴の若実哉 ( リダイレクト:琴ノ若晴將 ) : ウィキペディア日本語版
琴ノ若晴將[ことのわか てるまさ]

琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、本名:鎌谷 満也(かまたに みつや、旧姓今野)、1968年5月15日 - )は、山形県尾花沢市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇1999年1月場所、3月場所)。身長191cm、体重181kg。引退後部屋を継承し、現在は13代年寄佐渡ヶ嶽満宗。愛称はワカ、趣味はテレビゲーム、書道。美男子であり、女性ファンが多かった、血液型はB型。
== 来歴 ==
中学校入学時点で身長が180cm超を計測し、その体格を活かして柔道部員として県大会団体戦準優勝などの活躍を果たした。加えて砲丸投げに助っ人として駆り出されて大会での入賞を果たすなどスポーツ万能の少年として尾花沢市内で話題となっていった。この話題を聞きつけた元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽はその3日後に勧誘を開始した。最初は周囲が反対し本人も断ろうとしたが、10回を超える訪問などの熱心な勧誘や「私に任せてください」という口説き文句折れて入門した。〔師匠紹介   佐渡ケ嶽部屋ホームページ〕1984年3月場所の新弟子検査を同じ佐渡ヶ嶽部屋の琴錦などとともに受検したが、緊張のあまり血圧が急上昇し不合格とされ初土俵が1場所遅れた。5月場所初土俵の同期生には小結浪乃花がおり、非常に仲が良いことで知られている。
若い頃は大事な取組に弱く出世も遅れがちだったが琴錦の稽古台にされたことが幸いして力をつけ、1990年7月場所に新十両、2場所で通過し同年11月場所には新入幕を果たした。7勝8敗と負け越して跳ね返されたが(この翌場所の番付編成は非常に不可解で、新入幕時には幕内最下位でなかった琴の若(当時)は幕内残留が濃厚と見られていたにも関わらず十両陥落となった)1991年3月場所再入幕、今度は9勝6敗と勝ち越して以後幕内に定着した。
1993年9月場所には新小結で8勝7敗、その後小結と平幕の往復が続く中1996年7月場所には貴乃花の両横綱を撫で斬りにして9勝6敗、三賞(殊勲賞)を獲得した。1998年11月場所に小結で10勝5敗と勝ち越してやっと関脇に昇進。過去にも小結での勝ち越しはあったが番付運に恵まれず、2桁勝ってようやく同期生の琴錦に最高位で追いついた。
新関脇となる1999年1月場所も8勝7敗と勝ち越したが左膝の負傷で三役を明け渡し低迷。その後は三役に戻る事はなかった。それでも時折実力のあるところを示し横綱や大関を幾度か倒すなど地力のある所を見せ、その甘いマスクと伴って人気は衰えなかった。左膝の故障にはその後も何度も苦しまされ、晩年は4本ある膝の靱帯のうち3本が切れて1本しかなくなり、医者が「この膝でどうやって相撲を取るの?」と言うほどだった。半月板の故障も甚だしく、引退後の2012年3月ごろに病院に駆け込んだ際に発覚した事実について「ヒザの水を注射針で抜いているうちに半月板の欠片がどんどん流出し、ついには自然消滅した。医者には『親方、半月板無いですね。手術したんですか?』と問われた。」と語るほど悪い状態にあった。現在でも急な段差を下りると膝が外れるという。〔『相撲』2013年11月号81頁〕それでも得意の上手を取れば全盛期同様豪快な上手投げも見せた。
末は横綱と思わせるほどの堂々とした体躯で素質は十分。大関昇進を期待されたが故障が多く実現できなかった。しかし本人は「もう1回三役に」を目標に取り続けた。攻めが遅く「ミスター1分」のあだ名を持っていた。この特徴は速攻相撲には弱点になるが、一旦相手の速攻を止め水入りに近い大相撲になると「攻められ強く、しぶとい」という長所にもなる。実際水入りも4度経験した。しかし、この攻めの遅さが災いした。
1996年4月に師匠の長女と婿入りの形で結婚。この時点で佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まった。
2004年に佐渡ヶ嶽が体調を崩し入院すると、部屋付き親方が5名いる中で師匠代理を務めた。その後、佐渡ヶ嶽が65歳の停年(定年)を迎えた2005年11月場所13日目(11月25日)を最後に琴ノ若は現役を引退し、年寄・13代佐渡ヶ嶽を襲名した。なお、この日の取組は駿傑に敗れて5勝8敗と負け越し、翌日の稀勢の里戦は不戦敗となった。
全盛期より衰えたとはいえ幕内の地位を維持できる実力はまだ十分にあったが、日本相撲協会の年寄は65歳の停年を迎えると部屋の師匠を続けることができず、それによって部屋の師匠が不在になればその部屋に所属している力士は本場所に出場できなくなるという事情があったため、琴ノ若は停年を迎えた師匠の跡を継ぐためにやむを得ず現役を引退する形となったものであり、彼自身は現役最後の場所を千秋楽まで務められなかったことを残念がっていた。二枚鑑札による現役続行を望む声も上がっていたが、実現には至らなかった。
2006年5月27日両国国技館引退相撲を行った。引退相撲は長男・将且と行い、入門後には「琴ノ若」の四股名を継承させることを約束した。将且は高校在学中の2015年11月場所から佐渡ヶ嶽部屋に入門し、「琴鎌谷」の四股名で初土俵を踏んだ〔佐渡ケ嶽親方の長男、九州場所デビューへ 埼玉栄高・鎌谷将且 スポニチアネックス 2015年9月11日(2015年11月8日閲覧)〕〔佐渡親方長男の鎌谷ら合格 九州場所新弟子検査 スポニチアネックス 2015年11月8日(2015年11月8日閲覧)〕。翌2016年1月場所では序の口で全勝優勝を果たしている。
引退時は、蔵前国技館の土俵に立った経験のある唯一の現役関取・かつ幕内力士だった。力士としての息の長さと、長時間にわたる取組の多さから、「最も長い時間本場所で相撲を取った力士」、「相撲が好きな力士」と呼ばれた。
2010年3月場所より審判部の所属となり土俵下にその姿を見ることができたが、2010年7月場所直前に弟子の琴光喜大相撲野球賭博問題により解雇処分となり、責任をとる形で同場所を謹慎処分となり、さらに9月場所前にこの問題の責任をとる形で委員から平年寄へと2階級降格処分となり、同時に審判部から巡業部へ異動となったため、審判委員を務めた時期は実質2場所のみである。さらに2011年4月には弟子の琴春日大相撲八百長問題により引退勧告処分となり、責任を取る形で昇格停止3年の処分を受けた。年寄据置処分が明けた2014年4月に発表された新たな職務分掌では委員に再昇格した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「琴ノ若晴將」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kotonowaka Terumasa 」があります。




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