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独占生中継隅田川花火大会 : ミニ英和和英辞書
独占生中継隅田川花火大会[どくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [どいつ]
 (n) Germany
独占 : [どくせん]
  1. (n,vs) monopoly 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
生中継 : [なまちゅうけい]
  1. (n,vs) (on TV) "live" broadcast 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中継 : [ちゅうけい]
  1. (n,vs) relay 2. hook-up 
: [すみ]
  1. (n,n-suf) corner 2. nook 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
花火 : [はなび]
 【名詞】 1. fireworks 
花火大会 : [はなびたいかい]
 【名詞】 1. display of fireworks 2. firework(s) display
: [ひ]
  1. (n,n-suf) fire 2. flame 3. blaze 
大会 : [たいかい]
 【名詞】 1. convention 2. tournament 3. mass meeting 4. rally 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

独占生中継隅田川花火大会 ( リダイレクト:隅田川花火大会#テレビ放送 ) : ウィキペディア日本語版
隅田川花火大会[すみだがわはなびたいかい]

隅田川花火大会(すみだがわはなびたいかい)は、隅田川沿い(浅草向島周辺)の河川敷において毎年7月最終土曜日に行われる花火大会である。毎年8月に開催される東京湾大華火祭江戸川区花火大会とともに東京三大花火大会の一つに数えられる。
== 概要 ==

この大会は、大飢饉とコレラの流行によって、江戸で多くの死者が出た1732年、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した、「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)に遡る。1733年7月9日(享保18年5月28日)、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされる。この当時は20発前後の花火で、かなりのんびりとしたものであった。打ち上げは最初期は鍵屋が担当した。歴史は鍵屋のほうが古く、江戸での創業は1659年。7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が暖簾分けで、1808年に玉屋を創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていた。
鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれる。当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もある。ただし、玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、江戸処払い(追放)を命じられ、1代限りで断絶した。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もある。一方の鍵屋は、日本最古の花火会社「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。因みに、それまで難しい技術とされていた、同心円状に飛散する花火を明治期に及させたのが鍵屋である。
日本で最初に花火を観賞した人物は、一般的には徳川家康と言われている。江戸時代に書かれた「駿府政事録」などに、1613年、イギリス国王使節ジョン・セーリスが駿府城を訪れた際、中国人を使って、家康に花火を見せたという記述が残されている。この時の花火は現在の打ち上げ花火とは異なり、竹筒から火の粉が噴き出す単純なものであった。これを機に家康が三河の砲術隊に命じて、観賞用の花火を作らせるようになったのが、日本における花火の起源とされる〔『匠の国日本: 職人は国の宝、国の礎』 北康利 PHP研究所, 2008〕。
両国川開きの花火は、明治維新第二次世界大戦などにより数度中断した。1961年から1977年まで、交通事情の悪化や、隅田川の水質汚濁による臭害等により中断するが、1978年に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年続けられている。
毎年100万人近い人出が見込まれるこの大会は、桜橋下流から言問橋上流までの第1会場と、駒形橋下流から厩橋上流の第2会場合計で2万発以上の花火が打ち上がり、同時に、花火コンクールが行われる。
なお、3年に一度、7月に参議院議員選挙が行われるため、開催日が選挙期間中になる場合もあり、その年、開催日(土曜日)の翌日が選挙投票日にあたる場合は当日開催のみで、第35回大会(2012年)まで、当日雨天や強風の場合の順延はなし(事実上中止)となる。これは投票所が花火大会会場内にあるため、安全上の理由によるものである。
2011年東日本大震災の影響で都内の花火大会が次々と中止を決める中、東京都副知事猪瀬直樹8月27日に日程を変更して開催することを表明した〔猪瀬直樹東京都副知事がTwitterで隅田川花火大会の開催を報告 (RBB TODAY、2011年5月19日)〕。この開催延期の影響に伴い、浅草サンバカーニバルの開催が中止となる事態が発生した〔震災余波…浅草サンバカーニバルが中止に 日テレNEWS24 2011年6月13日配信 2013年6月27日閲覧〕。
第36回大会(2013年)は、雨天および強風により大雨・洪水警報と雷注意報が発令され、開始30分足らずの19時40分に大会中止を発表、途中打ち切りとなり、コンクールも競技不成立となり、順延もなかった。第20回大会(1997年)に雨天による延期という例があったが、完全に中止となったのは今回が初めてとなる。なお、翌年の第37回大会(2014年)は、雨は降らず予定通り開催された。コンクールも通常通り行われ、無事に終了した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「隅田川花火大会」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sumidagawa Fireworks Festival 」があります。




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